落ちない石、落ちる
- 2018/02/20(Tue) -
「落ちない石」として受験生などに知られていた島根県の石が、落ちているのが見つかったというニュース。

「落ちない」「すべらない」さまざまな物が、受験生には重要な、縁起物・合格祈願グッズになります。
入試前の過敏な時期には、あらゆる物事が縁起の善し悪しに結びつけられてしまい、一喜一憂しますよね。

科学的な根拠はなくても、何かのモノに思いを託すことで気持ちが前向きになれば、それは意味があります。
その反対に、何か縁起の悪いことが起きたら、精神的ダメージは大きいでしょう。
日本人の特徴かどうか分かりませんが、縁起の悪いモノや出来事や言霊には、大きな影響を受けるものです。

今回の石は、「受験生の身代わりに落ちてくれた」という解釈で、ポジティブにとらえられているようです。
これはうまい。精神的ダメージを払拭するための、知恵ですね。

じゃあ、どうしてコレまでの年月ずっと落ちてくれなかったのかい、と言いたい気持ちは抑えておきます。
そんな屁理屈を言うようでは、「落ちない石」の御利益もないでしょう。
ともかく、昨年までは「落ちない」縁起物だった石が、今年は「落ちて」身代わりになったわけです。

このたび落ちた石は細かく砕いて、「身代わり石」と称したお守りにしては、いかがでしょう。
試験の前後などにわざと落として、身代わりになってもらう使い方です。

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ムーミン問題
- 2018/01/15(Mon) -
センター試験の「世界史B」ネタを書いていた昨日、世間の話題をさらったのは「地理B」だったようです。
問題となったのが第5問の問4。北欧を舞台にしたアニメと言語から、フィンランドのものを選ぶ設問。

二択のアニメ(のイラスト)は、『ムーミン』と『小さなバイキングビッケ』でした。
ムーミンを知らない受験生が多かったようですが、バイキングとノルウェーを結びつければ解ける問題です。

ムーミン』は、私が小学生の頃、毎週日曜の夜7時半から放送されていた、大好きなアニメ番組でした。
その時期の日曜の晩は、『サザエさん』→ 風呂 →『ムーミン』という流れが、私のルーチンでした。

「ムーミンの舞台はフィンランドではなくて『ムーミン谷』だ」などという記載が、ネットを賑わせてます。
「出題ミスだ」という意見も出ていますが、深刻な非難というよりは、楽しいツッコミに思えてなりません。

作者の出身はフィンランドだけど、原作の舞台がフィンランドだとは断定できない、という学者もいます。
たしかに、「ムーミン谷」は架空の場所なので、それがフィンランドに「実在した」とは言いがたいですね。

菅官房長官は記者会見でこの件を問われて、「政府の立場でコメントすることは控えたい」と述べました。
この人はどんな質問でも、「コメントすることは控えたい」と言って逃げますね。実につまらない。
「政府の立場でコメントすることは控えますが、個人的には、大好きなアニメです」ぐらい言えばいいのに。

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正誤問題でいいのに
- 2018/01/14(Sun) -
センター試験の「世界史B」は、今年も悪問ぶりが健在ですね。たとえば第3問のCは、

「中国最大の都市である上海の外灘に立ち並ぶ重厚な西欧風建築は、往時の繁栄を今に伝えている(以下略)」
(この文章の、「都市」の部分に下線が引かれています)

そして設問は、「下線部について述べた文として誤っているものを、次の1〜4のうちから一つ選べ」
とあり、景徳鎮、リューベック、モンバサ、ポンディシェリという4つの「都市」についての文が並びます。

もはや上海など無関係。冒頭の文章は、「都市」という名詞を引っ張り出すためのものだったのです。
まったくナンセンス。くだらない。深みも何もありゃしない。

そんなこじつけの設問がまかり通るのであれば、こんな問題はどうか。作ってみました。

「インドアスポーツの発祥は古代ローマにさかのぼることができ、当時は貴族と民衆がともに熱狂した(略)」
(この文章の、最初の3文字「インド」に下線が引いてある)

続く設問はもちろん「インド」に関するものです。これだって、同じことでしょう?

さらに言うなら、「誤っているものを一つ選べ」とか「正しいものを一つ選べ」という設問も、ダメ。
選択肢の文の正誤を4つ全部は知らなくても、正答ができてしまう可能性があるからです。
それよりも、ひとつひとつの選択肢(文)の正誤をそれぞれ答えさせりゃいいじゃないですか。

前にも書いたように、世界史Bの凝った文章問題のような体裁は「まやかし」です。
求められているのは、短文の正誤判断でしかありません。もう単純に、正誤問題の羅列でいいんじゃないの?

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試験直前の悪あがき
- 2018/01/13(Sat) -
この寒い中、今年も始まった「センター試験」。中国風に書けば「中心試験」となるのでしょうか。
ネットで調べたら中国語の「試験」はちょっとしたテストのことで、入試にあたるのは「考試」のようですが。

大雪のために交通機関が乱れ、試験開始が繰り下げられた会場が何カ所もあったようです。
1時間繰り下げとなってある受験生は、「これでもう1時間勉強できる」と言ったとか。前向きでいいですね。

ただし、その1時間で何かしらの勉強をしたところで、試験の得点に貢献する可能性はほとんどゼロでしょう。
出題範囲は広いし、しかも深い洞察力や応用力が試されるはず、だからです。

と書きましたが私自身が受験生のときは、いつも試験開始直前ギリギリまで、参考書に目を通していました。
一度、最後の悪あがきで得た知識が出題されたことがあって、その成功体験を引きずってたのかもしれません。

それは高2の時の模擬試験でのこと。級友と、ひとつ単語を覚えよう!、と英和辞典を無作為に開きました。
指さした部分にあったのは “obvious” 。恥ずかしながら私は、その単語の意味をその時に初めて知りました。

さて、試験が始まって英語の問題用紙を広げたら、なんと “obvious” が出てる!
以来、往生際が悪いのが私のスタンスなのです。今風に言うなら、悪あがきは恥だが役に立つ、ですか。

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厳冬期の大学入試
- 2018/01/09(Tue) -
「本来不合格の受験生が合格」大阪大・入試ミス

 大阪大が昨年2月に実施した入試の物理科目でミスがあり、本来合格していた30人を不合格にしていた問題で、本来不合格だったのに合格となった受験生が同数程度いたことが8日、大学関係者への取材で分かった。

 阪大は「入学した学生に資格はなく、本人に通知する」として合格を取り消す方針。同大はさらに、これらの学生がこれまでに大学で学んだ知識についても、返還または忘却を求めることを明らかにした。

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悪ノリして「虚構新聞」風の文章を書きました。すみません。でも前半部分は実在の新聞記事からの転載です。
Facebookでも指摘されてましたが、どうして「本来不合格者」を新聞ネタにする必要があるのでしょうね。
そこは普通、触れないところですよ、日本人なら。そもそも、記事として書く社会的意義(正義)がない。

実際には大阪大は、「学生に落ち度はない」として合格を取り消さず、通知もしない方針とのこと。当然です。
それよりも、落ち度のあった教官や大学職員の資格についてこそ、検討すべきです。

大学入試の合否は、その学生の人生に大きく影響します。
不合格という結果が、自分の学力不足が原因ならともかく、他人のミスが原因では納得しがたいでしょう。
しかし、いまの環境で頑張りたいと大阪大への転入学を希望しない学生もいて、その前向きな姿に打たれます。

インフルエンザが流行しているこの時期、今週に入って私がインフルエンザと診断した受験生がいました。
土曜日から始まるセンター試験を、受験できるかどうかの瀬戸際。追試験を受けることになるかもしれません。

いくら万全の体調管理をしていても、入試は厳冬期に行われ、インフルエンザの流行期と重なります。
大学の秋季入学構想とは別に、試験日だけでも少しずらすわけにはいきませんかね。

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入試の出題トラブル
- 2018/01/08(Mon) -
大阪大学の昨年の入学試験で、物理の問題に問題があった問題は、かなり問題ですね。
出題ミスそのものもさることながら、指摘を受けた大学側の対応も、遅すぎました。
本来なら合格していたはずの30人が追加合格となるようですが、それぞれ事情があり悲喜こもごもでしょう。

(1)他大学に入学していた人
いまの大学で青春を謳歌していた若者がいまさら、大阪大に転入学できますよ、と言われてもね。
うれしさ100%、というわけにもいかないでしょう。こういうことは、もっと早く決めてくれないと。

(2)浪人中の人
今期も大阪大の受験を予定していた方にとっては、腰砕けになりそうな顛末ですね。時間を返せと言いたい。
さらに上を目指して猛勉強中の受験生もいるでしょう。大阪大などに行くものかと、闘争心を燃やすかも。

入試問題作成者の不注意と、誤りに対する大学側の謙虚かつ迅速な対応の欠除が、今回の悲劇を生みました。
昨年6月と8月にも外部から指摘を受けていたのに、12月に指摘を受けるまで再検討をしなかったのは遅すぎ。

検証のため、件の入試問題をネット検索してみました。興味と暇のある方はググってみてください。
反射音で音が大きく聞こえるときの、音叉と壁の距離「 d 」と波長「 λ 」の関係を数式で表せというもの。
素直な気持ちで解くと、まず「 2d = nλ 」という式が思い浮かびますが、当初これは不正解だったようです。
大阪大の当初の正答は「 2d = (n-1/2)λ 」だったそうですが、私にはどうしても真逆にしか思えません。
今回、「 2d = nλ」も「 2d = (n-1)λ 」も「 2d = (n-1/2)λ」も全部正答にするというのも、一層不可解。

残念ながら、これ以上は私も解説する能力がありませんけど、ともかく、受験生が振りまわされたことは確か。
入試問題は、慎重な作成は当然ですが、万一誤りを指摘されたときの、その対応の早さが何より大事です。

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うんこ漢字ドリル
- 2017/05/18(Thu) -
小学生向けの「うんこ漢字ドリル」(文響社)が、発行部数100万部を超えるベストセラーになっている件。
すべての必修漢字に対して3つずつ、必ず「うんこ」を使った例文を掲載しているとは、恐れ入ります。
作者は毎日「うんこ漬け(=うんこのことばかり考えてる)」だったとか。

小学生向けの教育書籍なので、品位を落とさないように、次のような点に工夫したと作者が言ってます。
(1)想像すると嫌悪されるような例文は避ける:「カレーだと思って食べたらうんこだった」はダメ
(2)具体性を極力そぎ落とし抽象化する:「春らしい色のうんこだ」(さわやか)
(3)いじめにつながる文は避ける:「友だちのカバンにうんこを入れた」(ダメ)
(4)ポジティブな例文:「君のうんこを見たおかげで元気になった」(ポジティブ!)

さっそく今日は仕事の後で、「例文」を立ち読みしに、サンピアンの明林堂書店に寄ってみました。
ところがなんと、6年生用が数冊売れ残っている他には、1年生用から5年生用まで全部売り切れ。
これはマズイ。買ってオカナケレバ。あわててその6年生用を購入。こうなると、他の学年用も買うしかない。

すぐに紀伊國屋書店に向かうと、3年生用と5年生用の在庫あり。緊急購入。
さらに別の書店にも行きましたが、1,2年生用と4年生用はついに、入手できませんでした。
ていうか、一冊も買う予定じゃなかったのに、品薄であることで冷静さを失い、3冊も買ってしまった。

帰宅してすぐ全部読んでみましたが、よくもまあここまで「うんこ」に徹したものです。あっぱれ。
作者と出版社の悪ノリに思えてなりませんが、それを買おうというノリの人間もまた、多いようです。私も。

さて、二匹目のドジョウを狙うとしたら、今度はどんなドリルを作ればいいでしょうね。

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新テストに記述式導入
- 2017/01/13(Fri) -
明日から、センター試験が始まります。東日本では大雪になるかもしれないとのこと。心配です。

そのセンター試験が、4年後には「学力評価テスト(?)」に変わり、記述式問題が導入される方向のようです。
現行の「マークシート式」では、思考の過程や結果を表現する力が十分に評価できない、という理由からです。

だから違うって。共通テストでも評価テストでも、名前はどうでもいいですが、目的を見失ってはいけません。
受験生の能力を、可能な限り公平に客観的に評価するのが、一次試験の目的じゃないのですか。
そのためには、できるだけ幅広い範囲にわたって、できるだけ多くの設問を解かせるしかないでしょう。
問題数を減らせば当たり外れが出て、受験生の間に不公平が生じてしまいます。

記述式問題を導入すれば、まず間違いなく問題数が減ります。それだけでも公平さが失われます。
さらに記述式は、採点者によるばらつきの問題が懸念されます。
ばらつきを減らして公平な採点を行うために、細かいチェックポイントが設定されることになるでしょう。
設問を正しく把握したか、思考過程に特定のキーワードが含まれているか、結論が正しいか、などでしょうか。

つまり、解答は記述式でも、採点はあくまで客観式なのです。実質的には、面倒くさい客観テストなのです。
全国規模の記述式問題の解答を、公平かつ効率的に採点するためには、仕方のないことです。

ならば、今まで通りの客観テスト(マークシート式)でいいじゃないですか。
思考過程を評価したいなら、そのような設問を工夫して作ればいいだけの話。これは出題者側の問題ですよ。
そもそも、深い思考力や表現力は二次試験で求めるもの。どうして一次試験をややこしくするんでしょうね。

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大坂冬の陣
- 2016/11/13(Sun) -
『真田丸』はついに今夜、「大坂冬の陣」に突入しました。
先週の、オープニングテーマをエンディングに使うという驚きの構成は、三谷幸喜の思いつきだったとか。

さて、「大坂の陣」には「冬の陣」と「夏の陣」があります。夏の陣よりも、冬の陣の方が先です。
前に「アメトーーク」の「勉強しかしてこなかった芸人」でやってましたね、「そこは逆」と覚えるのだと。

実際に私も高校の頃、そのように覚えました。何かを覚えるときは、その連想を助けるものがあれば楽です。
夏の陣の方が先であれば「季節の順」と覚えれば済むのですが、その反対なので、「そこは逆」となるのです。

実はこの手法は、一歩間違えると混乱を招く危険があります。
とくに私の場合、逆の順に覚えてはならないケースで、「そこは逆じゃない」と念押しする癖があるのです。
それが災いして記憶が曖昧になり、「結局、逆なのか、逆じゃないのか?」という疑念が残ってしまいます。

いったん「逆」か「逆じゃない」のかに疑念が生じると、もはやいつまでたっても、記憶に自信が持てません。

血液型(ABO型)の検査は、私が研修医の頃までは、病棟で主治医が行っていました。
その時に、A型で凝集する青い試薬と、B型で凝集する黄色の試薬を用います。その色には覚え方があります。
「青はaoだからAと覚える」という記憶法を、友人の誰かが提唱しました。これはいい。みんな大絶賛です。

それで済ませておけば良かったのですが、私は調子に乗って、別の覚え方を提案してしまったのです。
「青はblueだけどBじゃないと覚えてもいい」

私は友人たちのブーイングに遭い、おまけに私はその後、試薬の色ではいつも迷うようになってしまいました。
混乱を招くような記憶法は、たとえ思いついても、決して口にはしないことです。

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家庭教師
- 2016/06/16(Thu) -
「家庭教師のトライ」のCM。アルプスの少女ハイジのシリーズ。最近は少々、おふざけが過ぎませんか。
今やってるのは、トライの割引の大きさに驚いて、おじいさんがあやうく「昇天」しそうになるやつ。
その昇天シーンが面白くて、ハイジが何度も催促するという、まことに不謹慎なCMです。

そんなCM流すから、社長の母親が昇天したんじゃないの?、と言いたくもなります。

家庭教師と言えば私も、学生時代に2人ほど教えました。ひとりは中学生で3年間。もう1人は高校生を1年間。
あとで振り返ると、2人とも比較的裕福な家の長女というところが共通していました。

残念ながらその2人に対して私は、成績とか学力を伸ばすという意味では、ほとんど役に立ちませんでした。
カリキュラムなんてないし、教える内容も行き当たりばったり。時間配分は、勉強5割、雑談3割、お茶2割。
ただ、勉強に1週間周期のリズムを付けるという、一種のペースメーカーぐらいにはなったかと思う程度です。

予備校や塾と比較すると、家庭教師ではとくに、その教師個人の、教えること以外の能力が重要だと思います。
生徒との相性だけでなく、その生徒の両親も含めた、家族全員とのかかわりが必要だからです。

なにしろ毎週毎週、家庭訪問をしているようなもの。母親と話をしたり、帰る頃には父親とも顔を合わせます。
ときには家族みんなと一緒に夕食をとり、父親と酒を飲み、休日にはBBQなどに呼ばれます。
さまざまな相談に乗り、とくに進路については、子どもの希望と両親の思いのギャップを埋める努力もします。
このように家庭に介入することも、家庭教師ならではの仕事かもしれませんね。

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東大理三面接試験導入へ
- 2016/03/12(Sat) -
東大理科三類が、2年後の入学試験から、面接を導入する方針だと報じられました。
「医師になるのにふさわしい資質のある学生を、学力だけでなく多面的に選抜するため」だといいます。
良い話みたいに聞こえますが、ツッコミどころ満載です。

(1)これまでの選抜法ではダメだったと、東大が認めたのか
つまり、いま東大病院には、医師になるのにふさわしい資質のない医師が、うじゃうじゃいるわけですか。

(2)面接で、医師の適性は見抜けるのか
面接で見るのは、第1にコミュニケーション能力。たしかにそれは、医師としての必要条件かもしれません。
しかし十分条件ではないはず。面接内容が学力試験の結果よりも優先する、なんてことはないでしょう。

東大は、「医師になるのにふさわしい人物」を選ぶ目的で面接を行うつもりは、さらさらないのです。
たぶん、「医師になるのにふさわしくない人物」を選別して落とすために、面接をしたいのでしょう。
一般的に面接試験には、そのような側面があります。

東大理三は、1999年から2007年まで、面接試験を実施していました。
それをやめたのは「臨床研修制度によって人物評価ができる」という理由からでした。
再導入する理由は「臨床研修制度では人物評価ができなかった(または手遅れだった)」からなのでしょうね。

しかし理三ともなると、医師には不向きでも、研究には驚くべき能力を発揮する天才がいるかもしれません。
そのような逸材を引き受けるのが、東大医学部の役割であるのなら、面接は止めた方が良いと思うのですが。

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医学部入試の小論文
- 2016/02/08(Mon) -
医学部の入学試験では、しばしば小論文が課されます。しかし私はそれを、誤解していました。
テーマはたいてい、ありがちな医療問題なんだろうと、勝手にそう思っていました。たとえば昨年の、
関西医科大「高齢化社会と医療について」とか、久留米大「高齢化社会における医師の役割」のように。

ところが、もっとずっと面白い(奇抜な)課題を出す大学があることを、つい最近知りました。

順天堂大は、階段を昇っていく男性の後ろ姿と、手前には印象的な赤い風船が2つある絵を提示して、
「キング・クロス駅の写真です。あなたの感じるところを800字以内で述べてください」
東海大は、『赤毛のアン』の抜粋を提示して、
「これを読んで感じたことについて、具体的な例や経験を交えて述べてください」
杏林大にいたっては、
「うそも方便ということわざについて論じてください(60分/800字)」

医学部の入試に限るなら、小論文試験に求められるのは、次のようなことじゃないでしょうか。

(1)出題の意図を理解し、論理的かつ常識的な作文ができる(へんてこりんな文章を書かない)
(2)医師となる自覚と良心を感じさせる(こじつけでも、医学や医療や健康に関連する内容を盛り込む)
(3)うわべの論評ではなく、自分の経験談(苦悩した後に克服)などの、具体的なエピソードを挿入する

もちろん、経験談なんて創作でいいでしょう。なぜならこれは面接ではなく、小論文。つまり作文だからです。

持病を克服したとか、家族を介護したとか、持ちネタのある者だけが高く評価されたのでは、不公平です。
小論文は、自分の人間性や価値観をさらけ出す場であって、苦労経験のありなしを問うものではないはず。
自分を売り込むためなら、経験談を捏造することなど、うそも方便なのです。

・・・という答案では、どうでしょうか、杏林大学の方(ここまで794字)。

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努力を惜しまない
- 2015/09/26(Sat) -
日ごろの医学分野の勉強は、教科書や医学雑誌よりも、ネットの方が圧倒的に便利です。
医学系の会員制サイトが、充実しているのです。とは言え、つまみ食い的に、好きな分野だけ閲覧してますが。

そう言えば学生時代も、興味のない分野は少し手を抜いて、好きな科目ばかり勉強していた思い出があります。
いかに最小限の勉強で試験を乗り切るか、そればかりを考えていました。
努力を惜しむな、とはいいますが、要領よく勉強する努力だけは、惜しんでいなかったのす。

日ごろはあまり読書などしないくせに、試験前になると、歴史小説などを読みふけったりしました。
気を取り直して医学参考書を読んでいるときにも、欄外のこぼれ話にばかり、目が行きます。
翌日が呼吸器の試験であれば、なぜか内分泌の参考書を精読し始め、しかもそれがすごく面白かったりします。

その時々で、いちばん必要なことを差し置いて、それ以外の何かに興味を見出すのが得意(?)でした。
現実逃避だったのでしょうか。あるいは、へそ曲がりだったのかもしれません。

最近は、試験と名の付くものからも遠ざかり、勉強はつねに興味本位でするのみ。これがいちばん楽しい。
いまでも何か、新しい興味を見つける努力は、惜しんでいません。

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コサイン教えて何になる
- 2015/08/29(Sat) -
「コサイン教えて何になる」 朝日新聞の見出し。語呂がいいですね。

「サイン教えて何になる」なら七五調で、さらに良いのですが、今回はあえて「コサイン」です。
「サイン」には別の意味もあるので避けて、三角関数の意味しかない「コサイン」を選んだのでしょう。

「高校教育で女子に、サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」
鹿児島県の伊藤知事のこの発言が、波紋を呼んでいます。

知事は発言を撤回し「私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明したそうですが、逆に苦しい。
「サイン、コサイン」って、使った回数を覚えておくようなものですか?、しかも1回だけ?
じゃあその、人生で1回だけ使ったという、その「用途」を説明してもらいたいものです。

今回のニュースを聞いて、昔のカシオの関数電卓の、CMのフレーズを思い出しました。
「サイン、コサイン、タンジェント、ログ、エルエヌ、ルート、パイ、カシオで一発ワンタッチ 」てやつ。
ああ、あったあった、と思い出した方は、50代以上です、間違いなく。

「サイン、コサイン」の、文学的用例を探していたら、夏目漱石の『人生』という著作を見つけました。
旧制第五高等学校(いまの熊大)の校友会誌「龍南会雑誌」に、漱石が明治29年に寄稿した論説です。

「(前略)人生は一個の理窟に纏(まと)め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、『サイン』『コサイン』を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何(いかん)せん(後略)」

残念ながら、正確には解釈できませんが、「サイン」「コサイン」の位置づけが、なんとなくわかります。
「底なき三角形」に対しては、「コサイン」が使えません。知事の言いたかったことも、少し理解できます。

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好きな勉強、好きな本
- 2015/06/22(Mon) -
医学でも宇宙でも歴史でも数学でも昆虫でも音楽でも、いま知りたいことを勉強するのは楽しいもの。
知りたい医学知識を補強し、興味ある分野なら何にでも首を突っ込み、面白いと思った本を読む毎日です。

しかし、学校でやった勉強は、試験のため、成績のため、進学のため、という側面がありました。
勉強は手段であって、その結果何らかの目的を達成し、それがまた、別の目的のための手段となるわけです。

例えて言うなら、健全な肉体をつくるために、好き嫌いを言わず、何でもバランス良く食べるようなもの。

では、成人の肉体がそれなりに出来上がったとしたら、じゃあこんどは、何を食べる?
そりゃもちろん、好きなものでしょう。好きなときに、好きなだけ食べる。嫌いなものは、残す。

読んでる本が面白くなくなったら、途中で投げ出すので、読みかけの本が山ほどあります。
あとで興味が湧けば、また読み始めたりもします。買っただけで、まったく読んでない本も多数あります。

では、例の、又吉直樹の「火花」はどうだったかというと、純文学にしては珍しく、短時間で読了しました。
書評は控えます。ネガティブなことは言いたくないので。

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書いて覚えた方がいいのか
- 2015/01/28(Wed) -
「音読しながら書いて覚える」 そんな勉強法が効果的だと、つい最近もテレビ番組で紹介していました。
多くの感覚器を刺激しつつ覚えると、単に黙読したよりも記憶に残りやすいという、昔からある定説です。

ところが最近、書いて覚えるよりも書かずに覚えた方が記憶に残りやすいという、逆説的な話が出ています。

カナダの大学で行われた、トランプの「神経衰弱」ゲームを用いた実験の内容はこうです。
カードの絵柄と位置について、半数の学生にはメモを取らせ、残りの学生はには取らせなかった。
最終的に、メモを没収したところ、絵柄の位置をよく覚えていたのは、メモを取らなかった学生の方だった。

つまり、メモという外部記憶への記録に頼ったために、自分の脳への記憶が定着しなかったというわけです。

なるほど。それで合点がいきました。学生時代、書いても書いても覚えられなかった訳がわかりました。
覚えたい事柄を書き写すという、その行為自体に満足して、脳の記憶回路が働いていなかったわけです。

学会や講演会の聴衆には、こまかくメモをとる人と、じっと聞いているだけの人がいます。
演題の全体像を把握し、重要ポイントを的確に記憶することができるのは、後者の人だけかもしれません。

たしかに、何かを真剣に覚えるときには、手を動かすと、かえって集中できないような気がします。

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得点調整は公平か
- 2015/01/25(Sun) -
センター試験の採点の結果、理科の選択科目間で平均点に大きな差が出たため、得点調整をするとのこと。
旧過程の「物理1」の平均点69.93点に対し、新課程「生物」は48.39点。その差が20点を超えたためです。

試験科目によって、平均点に大きな差ができる原因は、一般的に次の2つでしょう。
(1)問題の難易度の違い
(2)受験生の学力の違い

まず、学習範囲の広い新課程と、ゆとり教育の旧課程の科目が混在し、ずいぶん難易度が異なったようです。
同じ科目どうしで比べると、旧課程の方が平均点が6点以上高く、地学に至っては18点の差がありました。
この点に関して言えば、得点調整を行うことは理にかなっているかもしれません。

しかしそれ以前に、浪人生だけが、学習範囲の狭い旧過程で受験できる規定だったことは、やはり問題です。

では、教科間の違いはどうでしょう。物理と生物とで、難易度に明らかな差があったのでしょうか。
たしかに平均点は、旧過程では物理>化学>地学>生物、新課程では物理>化学>生物>地学の順でした。
しかしこの順序は、難易度の差というよりも、その科目を選択した受験生の理系能力の違いかもしれません。

高校理科の中で、物理・化学は「理系」的、生物・地学は「文系」的な側面があります。

物理は、その原理・法則等をきちんとマスターしていれば、必ず高得点が取れる科目です。
化学は、知識を問われる部分もあるので、万一不得意な分野から出題されると、失点しかねません。
地学や生物は、さらに暗記項目が多くてリスキーなので、根っからの理系人間は選択しない科目です。

理系学力を問うのが理科の試験なら、物理を選択して高得点をとる受験生を、正当に評価すべきです。
物理と生物の間で得点差が出たから調整するなど、まったく不公平な措置だと思います。

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文章問題のインチキ
- 2015/01/22(Thu) -
先日の出題ミス事件をきっかけに、センター試験の「世界史B」の問題を眺めてみたんですが、悪問ですね。

設問はすべて、まず歴史に関する7,8行の文章を読ませ、その下にいくつかの問いが並ぶという形式です。
ところが、その問いの内容が、冒頭の文章とは実質無関係。ひどいこじつけばかりじゃないですか。

例えば、問4のBの設問は、「じゃんけん」の歴史についての、ちょっと興味をそそる文章で始まります。
「古代の中国に起源を持つとされるじゃんけんは、現在、世界大会が開かれる競技であり、・・・(後略)」
この文の「中国」という文字の下に「4」と表示された下線が引いてあり、以下のような問いが続きます。

「下線部4の国(=中国)から伝わった制度や文物について述べた文として、誤っているものを選べ」
選択肢は4つ。それぞれ、羅針盤、製紙法、養蚕、科挙に関する文です。全部「じゃんけん」とは無関係。

じゃあ「じゃんけん」どこ行ったの?って話です。結局、冒頭の文章は、設問の内容には関係無いのです。
ただ単に「中国」という言葉を、登場させるためだけの役割しかないのです。

総じてみると、世界史Bというのは結局、短い文の正誤を問う問題の羅列にすぎません。
それなのに、あたかも文章問題のような体裁をとって、設問に深みを出そうという魂胆が見え見えです。
前にも書きましたが、よっぽど知識偏重の問題だとは言われたくないのでしょうね。

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センター試験の出題ミス
- 2015/01/18(Sun) -
入学試験の出題ミスは、受験生の合否にさえ影響を与えかねない一大事。出題者の責任は重大です。
正解が2つあるような設問が見つかった場合、その両方を正解とみなす、という解決法がとられます。
しかし、ムダに悩んだ受験生の、時間の浪費や精神的ストレスに対しては、どうやって穴埋めしてやるのか。

昨日のセンター試験「世界史B」でミスがありました。渋川春海が作成した「貞享暦」についての設問です。
その設問文を、読点(、)の部分で改行して4行に分けて記載すると、以下のようになります。

(1)貞享暦は、
(2)中国『ア』の時代に、
(3)『イ』によって作られた授時暦を改訂して、
(4)日本の実情に合うようにしたものである。

出題者の意図は、「中国・元の時代に、授時暦が作られた」という知識を、問うことだったと思われます。
一方で貞享暦は、「中国・清の時代に、日本の実情に合うようにしたもの」であることもまた事実。
設問文の(2)が(3)にかかるのか(4)にかかるのかの解釈によって、『ア』の答が異なるわけです。

このような、読み方によって答が変わるような設問を作るなど、出題者の国語力に問題アリです。

この際、どうせ知識を問うのであれば、いっそのこと、もっと単純な設問にしたらどうですか。たとえば、
(問1)授時暦を作ったのは誰か。次から選べ。
(問2)授時暦ができたのはいつの時代か。次から選べ。
設問はひどく無機質ですが、求める知識は同じ。まったく誤解を与えない、率直な問い方じゃないですか。

知識偏重だと批判されるのを嫌ってか、問題文をヘンに長ったらしくするから、オカシなことになるのです。
いくら工夫を凝らしたところで、尋ねているのは単なる知識。ならばもっと簡潔な設問にすべきです。

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知識偏重試験は悪か
- 2014/10/25(Sat) -
大学入試改革では、なぜかいつも知識偏重を問題視します。知識を悪とでも考えているのでしょうか。
このたび中央教育審議会がまとめた答申案も、例によって「知識から応用へ」という趣旨のようです。

知識あっての応用じゃないの?ってことは、もう何度も書いてきました。
そこで今日は、新たな切り口で考えてみます。次の4グループでは、どれがいいのか。
(1)知識あり、応用力あり
(2)知識あり、応用力なし
(3)知識なし、応用力あり
(4)知識なし、応用力なし

このうち(2)がダメだと言うのなら(3)でいいのですか。結局、求められるのは(1)なんです。
それなら、一次試験で知識を幅広く問い、二次試験で応用力をみる、というやり方でいいじゃないですか。

一次と二次を合わせて、受験生の総合力を判定するのであれば、一次試験が「知識偏重」で問題ありますか。
そのかわり二次試験を、面接とか小論文とか、大学独自の「応用力偏重」試験にすればいいだけの話です。

それなのに中教審は、一次試験で「思考力・判断力・表現力」を評価しようなどと、勘違いをしています。
センター試験は、知識を広範・正確・公平に評価する役割に徹するべきです。

どっちみち、大学に入っても勉強は続きます。社会人になったら、もっと大事な本当の勉強が待っています。
受験勉強は、基礎知識を習得するためだけでなく、将来の勉強のためのトレーニングみたいなものです。

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世界史と日本史
- 2014/08/18(Mon) -
日本学術会議は3年前から、日本史と世界史を統合した「歴史基礎」の創設を提言しています。
今年そのカリキュラム試案が公表されたそうですが、歴史が好きになるような教科にしてほしいものです。

「縄文弥生は詳しく、中世から急ぎ始め、現代史はプリント配り終了。そんな授業を小中高と3回繰り返す」
ちょうど1年前に日経のコラムが、日本史教育の問題点をこのように表現していました。座布団1枚です。

思えば、大化の改新とか鎌倉幕府とか、情報の少ない古い時代なのに、細かく習ったのでよく覚えています。
また、戦国時代や幕末は、著名な人物が数多く登場してドラマチックなので、興味深く学んだ気がします。
しかし、授業に時間を費やしたのはせいぜい明治維新まで。大正・昭和の歴史は、ほんとに駆け足でした。

イデオロギー的な問題があって、教えにくいから「はしょった」のか、と思いたくもなります。

世界史は、あっちこっちで物語が同時進行しながらも、それらが密接に絡み合う群像劇のように思えます。
このさい日本史も、この群像劇に組み込んでしまえと、そのような発想は悪くありません。
日本が世界と無関係であった時代はなく、両方を同時に学ぶことで理解が深まることは多いです。

たとえば古代史において、日本と同時代の中国の、その圧倒的先進性には脱帽するしかありません。

なにしろ日本が縄文時代から弥生時代に移り変わる紀元前500年頃、中国では孔子が仁を説いていました。
邪馬台国以前の、日本がまだ乱れていた時代、中国は秦が統一し、次いでが建国されました。
その邪馬台国ですら、魏志倭人伝に記述がなければ、ほとんど神話に近い存在です。

中世・近世になると、日本と中国との関係もまた変わりますが、近代・現代はさらに、複雑です。
日本の内外から同時に歴史を見ていく教育は、隣国との関係改善のためにも有意義だと思います。

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夏休みの宿題
- 2014/07/30(Wed) -
8月末になって着手し、最後は父が作り直し。私の夏休みの宿題の工作は、毎年そのパターンでした。

吊り橋の模型を作ったのは、小学校の高学年だったでしょうか。
全長30cm程度のいびつな物体ができあがりつつあるのを見て業を煮やした父が、竹ヒゴと角材を大量に購入してきました。一から作り直すというのです。もう夕方なのに。
翌朝、登校する私が両手に抱えていたものは、全長1メートルをゆうに超える、それはそれは立派な吊り橋でした。友達はみな賞賛のまなざしでしたが、担任の先生の、やや冷たい笑顔が忘れられません。

ある年は、投入した硬貨を自動選別するような箱形の貯金箱を作りましたが、これも父が作り直しです。当時の父は自作スピーカーに凝っていた頃で、その材料が余っていたのです。
完成した貯金箱の表面には木目をプリントしたシールがびっしりと貼られ、市販品ならB級な仕上がり。少なくとも、こどもの工作には似つかわしくない雰囲気に溢れていました。

中学時代には、壁にぶつかると自動的に逆方向に進む車を作りました。
アイデアは評価してくれた父でしたが、完成度にはまったく満足できなかったのでしょう。材料を買い込んできて、作業を始めてしまいました。
そしてできあがったのは、高専の生徒が作ったのかと見まごうばかりの、精巧な模型でした。恐る恐る学校に提出すると、技術の先生に本気で褒められてしまい、とまどいました。

そのような父の、凝り性で完璧主義の血を、私が受け継いでいなかったはずがありません。
しかしまた、子どもの宿題に親が介入しても、当の本人が必ずしも喜ばないことは、私自身がよく承知しています。なので私が子どもの工作の手伝いをしたことは、記憶にある限り一度だけかもしれません。
学校に持って行かせた金峰山の模型は、誰の目にも大人が作ったとしか見えない代物でした。子どももそこそこに喜んでくれたので、救われた気がしますが、私に気を遣ってくれたのかもしれません。

ーーー
保険医協会の新聞に投稿するつもりだった原稿ですが、締切に間に合わなかったのでここに掲載しました。

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医師国家試験
- 2014/03/19(Wed) -
2月に行われた医師国家試験の合格者が、昨日発表されました。8千人近い医師が、新たに誕生しました。

私が受験したのは1985年。その前年までは春と秋に行われていた試験が、この年から春の1回になりました。
ちょうど私の学年は、共通一次試験が始まった年。試験改革の色んな荒波を、もろにかぶった学年なのです。

試験会場は、福岡の親不孝通りにあった予備校でした。おそらく水城学園か、そうでなければ九州英数学舘。
いまとなっては、どちらの予備校も姿を消し、親不孝通りの名称すら失われてしまっています。

私の頃の医師国家試験は4月上旬に行われ、合格発表は5月下旬でした。
その合否もわからぬうちに、4月から病院研修がスタートしました。無資格なので見習いみたいなものです。
しかし見習いとはいえ、診察・採血・回診準備・手術の助手・標本整理などで、多忙な日々を過ごしました。

そのような暫定研修医生活が1カ月ほど経ったころ、ようやく、国家試験の合格発表の日が訪れました。

万一不合格となると、その日をもって病院勤務は終わり、翌日から受験勉強に戻るという、過酷な運命です。
自己採点の感触で、まあ合格しただろうと思ってはいても、発表当日は、ひどく緊張したものです。

研修医仲間と、奪い合うようにして見たのは、その日の夕刊だったでしょうか。合格者名の一覧です。
探しました、「鶴原由一」の4文字を。しかし、何度見ても無いのです。
ただそこに、「鶴田由一」という、ソックリな名前は、ある。きっと誤植だろう。そうに違いない。

翌朝いちばんに、厚生省に問い合わせてみると、やっぱり新聞社のミスでした。しっかり仕事しろ、新聞社。

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数学の応用問題
- 2013/09/25(Wed) -
「全国学力テスト」の応用問題。
先日は小学生向けの算数のB問題について書きましたが、今日は中学生向けの数学のB問題をご紹介します。

全6問。単なる応用問題ではなく、数学の面白さをわからせようと考えられた、良問だと思います。

「身近な数学」
第1問と第3問は、日常生活で使われる、数学的な考え方を取り上げていて、取っ付きやすいです。
文句を付けるとすれば、第1問の「手首の脈拍数を1分間数えて求めます」の写真。これはダメ。
もっと指先を立てないと、脈はちゃんと触れませんよ。・・・まあそこは、目をつぶりましょう。

「謎解き」
第2問と第6問は、何か手がかりを元に、法則を見いだし、解き明かしていく問題。
整数の面白さにも、気付かせてくれます。数学好きって、けっこう整数好きなんですよね。私もそう。

「パズル」
第4問は、幾何学の証明問題。と書くと難しそうですが、じつは解くのが楽しくなる図形問題。
テレビのクイズ番組にも出て来そうです。

「マニアック」
第5問に至っては、数学好きでなければ、思いつきもしないような設問です。冒頭からいきなり、
「麻衣さんと小春さんは、学級の生徒がどのような長方形を美しいと思うかを調べることにしました」
普通そんなこと調べる? その発想が好き。

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算数の応用問題
- 2013/09/12(Thu) -
全国学力テストのことを先日書きましたが、実際に応用問題を見てみると、なかなか面白いですね。
今日は、小学校6年算数の応用問題(B問題)から、とくに「応用力」が試される、良問をご紹介します。
全5問のうち、第1問の(2)番の設問です。

実際の問題文は冗長なので、要点だけ書くと、次のようになります。
遊園地で乗り物に乗る計画を立てたところ、乗り物券が15枚必要になった。いちばん安い買い方はどれか。
(1)100円券を15枚買う
(2)1000円の11枚つづり券を1枚と、100円券を4枚買う
(3)1500円の乗り放題券を買う

出題者(国立教育政策研究所)の模範解答は(2)です。
しかし、当初の計画通りの15枚で済むわけがないでしょう。
こどもというのは必ず、「もう少し」遊びたくなるものです。
最初に買った15枚を使い切ったあと、100円券を何枚か追加購入する羽目になることは、目に見えてます。
その意味で、真の「応用力」を評価するなら(3)でしょう。(2)は応用力不足。(1)は官僚体質。

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応用力不足か?
- 2013/09/03(Tue) -
4月に実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が、先週公表されました。
今年もまた「基礎はいいが、応用力が不十分」との結論。毎年のことです。
新聞はすぐに「どうして応用力が伸びないのか」などという論調で書き立てます。これも毎度のこと。

しかし私に言わせれば、基礎と応用を同列に評価することが、そもそも間違っているのです。

A問題(基礎問題)は、知識を問うものであり、知識量に比例して得点できるように出題されます。
学校で教える範囲内で評価するので、よく勉強した子なら、100点満点が取れるはずです。
平均得点が62〜77点となった今年の出題は、ちょうど良い難易度だったと言えるでしょう。

B問題(応用問題)は、知識を引き出し、統合し、問題解決へと向かう能力を問うものです。
応用は無限の広がりを持つものであり、簡単に高得点が取れるような出題では、評価に役立ちません。
平均得点が42〜68点となった今年の出題は、これもまた良問だったと言えるのではないでしょうか。

A問題とB問題では、評価のゴールが違うのです。その平均点に差がついて当然です。
点数だけを見て「基礎は身についているが応用は苦手」と評価すること自体が、ナンセンスだと思います。

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完璧主義
- 2013/07/29(Mon) -
「グズの人にはわけがある」(リンダ・サパディン、ジャック・マガイヤー著)という本を買いました。

この本では「先延ばし癖」のある人のことを「グズ」と呼んでおり、それを6つのタイプに分けています。
私はそのうちの「完璧主義者」に近いと思いました。
完璧を目指そうとするあまりに、いつまでたっても完成しない、そんなことを繰り返してきたからです。

こどものころ、夏休みに入るとまずやったことは、「夏休みの計画」を立てることでした。
休みが40日も続くので、嬉しくてしかたがありませんが、その気持ちを引き締めるのが「計画表」です。
「夏休み帳」をいついつまでに何ページまでやって、絵をかいて、工作をして・・・
しかし結局、絵はお盆過ぎに殴り描きし、工作は8月末の突貫工事になっていました。

中学以降になると、各科の問題集をどの日にどこまでやるか、綿密な勉強の計画を立てました。
完璧な計画を立てるためなら、勉強など後回しにしてもかまわない、そんな気持ちさえありました。

いま先延ばししていることと言えば、たとえば書斎の片付けでしょうか。
断捨離ができない性格に加えて、どうせなら完璧に整頓しようと思い、構想を巡らし続けて2年はたちます。

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センター試験廃止
- 2013/06/06(Thu) -
大学入試センター試験の廃止も含めた、抜本的な大学入試改革の導入議論が始まったようです。
センター試験と言えば、その前身は「共通一次試験」であり、私はその第1回目を受験した学年です。
私もそうでしたが、試験制度が大きく変わるとき、現場(受験生、学校など)は大混乱します。

高校在学中に複数回挑戦できる「到達度テスト」を導入する方針のようですが、私は反対です。

「現在のような一発勝負の選抜試験は好ましくない」という考え方には一理あります。
受験回数が増えれば、運不運に影響されず、学力の正しい評価につながるというメリットはあるでしょう。
しかし受験生は、よりよい成績獲得を目指して、複数回の試験にそれぞれ全力投球することになります。
実質的な「受験期間」が長くなり、高校生の負担は増えるだけでしょう。

安倍首相は「大学入試に過度のエネルギーを集中せざるを得ないことが、わが国の教育の問題」と言います。
しかし到達度テスト導入によって「長期間集中せざるを得ない状況」になることに気付かないのでしょうか。

「一発勝負の試験は好ましくない」というのは、「試験とは知識を問うもの」という観念の現れです。
運不運や体調によって左右される程度の知識など、その人の身についたモノとも言えません。

学力による選抜を行う限り、試験制度をどのように工夫しても、それは抜本的改革にはならないと思います。

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問題冊子持ち出し
- 2013/01/20(Sun) -
今年もセンター試験が行われました。
昨日は、試験時間中に問題冊子を会場外に持ち出し、予備校関係者に手渡すという、不正行為が起きました。
その目的は、予備校が「模範解答を早く作るため」だとされていますが、本当にそうだったのでしょうか。

報道はされていませんが、実はこれには、もっと深い不正があったかもしれません。
(以下想像)
持ち出された問題冊子は、会場近くの路上のバンで待機する「特別チーム」に渡されたのです。
彼らは迅速に問題を解き、その解答を、しかるべき「顧客」に発信します。
顧客である受験生は、その情報を特別製の腕時計の液晶画面で読み取り、楽々と解答することができます。
(想像終わり)

センター試験とは言いますが、会場で監督をしているのは、急遽かり出された大学教官です。
余計な仕事を担当させられて、迷惑している人たちです。早く終わらんかな、とばかり考えているのです。

私の試験監督としての体験談は、ちょうど1年前2年前のブログにも書いた通り。
「試験を時間通りにスムーズに進行させること」だけを考えて、監督していました。
なので、試験時間中のトイレ退室などという「イレギュラーな事態」が起きると、とてもイヤなのです。
そんな受験生には「さっさとトイレに行って、さっさと帰って来なさい」と言いたくなるのです。
彼らが不正をしようとしているなんて、考えたくもないのです。

今回の事件で、問題冊子の持ち出しに気がつかなかった試験監督の気持ちは、よく理解できます。

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知識と応用
- 2012/06/16(Sat) -
入学試験などの問題点を語るとき、よく「知識偏重から応用力重視へ」といった言い方がされます。
応用の方が上位で知識は格下のような表現です。はたしてそうなのでしょうか。

(1)知識と応用は切り離せるのか

たとえばある病気について勉強するとき、最初に病気のメカニズムを知る(=覚える)ことから始めます。
そうすれば、症状や検査法、治療法などを理解しやすく、それらも覚えやすくなるからです。
そのように、覚えた知識を有機的に結びつける作業こそが、応用だと思います。
知識が多い方が応用範囲も広がり、知識のない領域では応用のしようもないのです。

(2)知識が教養の基礎となる

テレビなどで、歴史や古典などについての話題が出たとき、ふとそれを懐かしく感じることがあります。
記憶の片隅にある受験知識が、数十年ぶりによみがえるのです。
懐かしさからやがて、ちょっと本でも買って勉強してみるか、という気になります。
大人になってからの勉強は、好きでやるものだから、楽しいものです。

年齢とともに記憶力は低下するのに、「若い頃に覚えたこと」は、妙に記憶に残っています。
若い頃の記憶は、定着しやすいのかもしれません。
であればなおさら、若い頃に知識を詰め込む受験勉強も、捨てたものではありません。

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全国学力テスト
- 2012/04/27(Fri) -
全国学力テストが、小学6年と中学3年生を対象に、先週行われました。
賛否両論あるこのテスト。50年以上を経てなお、紆余曲折は続いているようです。

(1)導入期(1956年~1964年)
日本を支えるのは教育である、おおいに競争すべし、という高度成長期でした。

(2)中断期(1965年~2006年)
「過度の競走を招く」との日教組らの反対によって、テストは中断。成長の反動か。

(3)復活期(2007年~2009年)
日本人の考え方が成熟し、バランス感覚が出てきたのかと思っていたら・・・

(4)混迷期(2010年~)
民主党政権下では、全体の約3割の学校のみを対象とした「抽出方式」となりました。
コスト削減のため、というのは言い訳です。日教組の影響がまた強まったとみるべきでしょう。


ところで、全国学力テストは文科省の委託事業です。実際に行っているのは民間企業。
問題の作成から採点、集計だけでなく、学習環境調査結果などの情報までが、民間企業に握られるのはどうなのか。その点は問題視されています。

たとえば小学6年のテストは、2007年以来ずっと、ベネッセコーポレーションが実施しています。
文科省の入札に応じる企業も、2008年以降はベネッセだけになりました。
ベネッセにはどんどんノウハウが蓄積し、他社が入り込む余地がなくなっているのでしょうか。

そのうちベネッセから、「全国学力テスト対策問題集」とかが出たりして。

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エヘン虫
- 2012/01/14(Sat) -
受験の季節になりました。
そこで今年も、センター試験の試験監督をした時の思い出話をひとつ。

試験中、部屋に響くのは鉛筆のカツカツいう音と紙のこすれる音、ときおり受験生の咳払い。
異様な静寂に包まれ、受験生でなくても、その場に居る者はみな緊張が高まっています。

学生は問題を解くことに集中しているので、まだマシです。咳払いも遠慮無く行います。
ところが試験監督はそういうわけにはいきません。学生を妨げてはならないからです。
咽頭喉頭部に「エヘン虫」がたまってきても、小さく控えめな咳払いでしのぎます。

そうこうするうちに、変な欲求にかられます。
思いっきり大きな声で、「とりゃあ~」とか「せいやあ~」とか叫んでしまう自分を空想してしまうのです。
私の絶叫のあと、一瞬の間があって、「びっくりしたぁ」と受験生たちが爆笑、部屋全体の雰囲気がなごみ、いい意味で緊張がとれて、何事も無かったかのように試験が粛々と進行していく・・・
なんてわけにはいかないでしょう。
私は取り押さえられ、翌日の新聞紙上に踊る見出しはおそらくこんな感じ。
「試験監督絶叫し受験生混乱 『エヘン虫』に耐えきれず」

そんな空想をしているうちにようやく時間が来ます。
「鉛筆を置きなさい」と、必要以上に大きな声で言ったりして、私のノドのイガイガもほどけるのです。

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化学語呂合わせ
- 2011/08/11(Thu) -
レアアースで思い出しましたが、かつて覚えた化学分野の語呂合わせは、実生活には役に立たないけれども、なかなか味がありました。

まず元素名の覚え方。人によって多少言い回しが異なるようですが、私の場合
「水兵リーベ僕の船、ソー曲がるシップスクラーク・・・」
(H, He, Li, Be, B, C, N, O, F, Ne, Na, Mg, Al, Si, P, S, Cl, Ar, K,・・・)
戦前からある覚え方なのでしょうか、いきなりドイツ語が登場します。
「リーベ」=「愛する」という意味の動詞です。
でも、主語が「水兵」という3人称なら「リーベ」ではなくて「リープト」か、複数でも「リーベン」のはずだけど。もしかして「わたくし水兵は」という1人称なのか。
この疑問、30年以上未解決のまま現在に至っています(誰か教えてください)。

イオン化傾向の語呂合わせも、結構メジャーですね。
「貸そうかな、まああてにすな、ひどすぎる借金」
(K>Ca>Na>Mg>Al>Zn>Fe>Ni>Sn>Pb>H>Cu>Hg>Ag>Pt>Au)
今でも、「ひどすぎる!」と口走ると、つい「借金」と付け加えたくなるのは私だけ?

炎色反応の覚え方も似ています。
「リアカー無きK村、どうせ借るとするも、くれない馬力」
(Li赤, Na黄, K紫, Cu青, Ca橙, Sr紅, Ba緑)
どこですか、K村。そうとう貧乏。

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カンニング
- 2011/02/27(Sun) -
いつか韓国でも起きた、ケータイを利用したカンニング事件が、日本でも起きました。

試験中に、監督の目を盗んでケータイを操作するだけでも至難の業なのに、発信内容はけっこう詳細で長文です。
よほど巧妙に入力したか、超人的に入力が速いか、あるいは特別な装置を使ったのか、いずれにしても監督体制を強化する必要はありそうです。

ハイテク化が進めば、メガネに仕込んだカメラからの画像をネットに配信するとか、普通のデジタル腕時計に見えるけど文字情報を受信できる装置であるとか、次々に出てきそうです。ていうか、すでに売られているかもしれません。
こうなってくると、試験会場に妨害電波を出すか、それが問題なら試験室を電磁的にシールドするとか、特別な対策が必要になるかもしれません。

しかし考えてみれば、入学試験で評価する学力とは何なのか。
人工知能を脳に埋め込んだ天才がいたとすると、それは個人の能力でありカンニングでとは言わないでしょう。
頭に埋め込んだものが、ネットとつながった通信装置だったとしても同じこと。

ならば、体内に埋め込んでいなくても、ネット情報にアクセスできるデジタル端末を、「からだの一部のように」自在に操れるなら、それもある意味個人の能力と言えなくもない。
そこまでを含めて個人を評価するような、そんな試験もアリかもしれません。


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センター試験
- 2011/01/28(Fri) -
受験シーズンになると思い出すことがあります。
それは大学病院に勤務していた頃、センター試験の監督をやらされたときのこと。

当時、手術や術後管理等で毎日深夜まで働いても、時間外勤務手当はいっさい出ませんでしたが、試験監督のときは手当が出ました。
大学職員(文部教官)の本来の仕事は「学生教育」であって「診療」ではない、というお役人の理論に基づくものです。

センター試験では、時系列に沿った綿密な「試験監督マニュアル」が準備されています。
監督は、注意事項等を「一言一句たがわずに」音読し、「始めなさい」とか「鉛筆を置きなさい」とかの命令を「一秒もたがわずに」宣言し、試験を「時間通りに」進行させなければなりません。
全国各地の会場で同時に行われる試験なので、時刻のズレがあってはならないのです。

試験開始直前には同じ試験会場の監督が全員集合し、各自の腕時計の「時刻合わせ」をします。
私は当時、腕時計を紛失した直後だったので、やむを得ず目覚まし時計を持参していました。
毎朝の目覚ましに使っていた時計ですが、その日は大事な働きをするので、電池を新しいものに換えて臨みました。

監督全員が真剣な表情でテーブルを囲み、いっせいに腕時計の秒針を確認・調整するなかで、ひときわ大きな目覚まし時計が注目を浴びました。
厳粛な雰囲気の中だったので、笑う者はいませんでした。心の中では笑っていたと思います。

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