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「ごぼうの党」があるのなら、「サル党」があってもいい
- 2022/06/23(Thu) -
「サル痘」のニュースを聞いててずっと気になるのは、その主な症状である「発疹」の読み方です。

NHKなど、メディアはみな「はっしん」と読んでいますが、医療従事者が言うときは普通「ほっしん」です。
このように、国語辞典に出ている読み方と、医学用語としての読み方が異なる言葉は、よくあります。
例えば「腹腔」を、メディアは「ふくこう」と言いますが、医療現場では「ふっくう」です。

歴史的な観点からどちらが「元祖」なのかはともかくとして、医学用語の読み方の方が私はしっくりきます。
なぜなら、「はっしん」には同音異義語が多い一方で、「ほっしん」にはそれが比較的少ないからです。

日国を引くと、前者は「八神・発信・発振・発疹・発軫・発進・発震」、後者は「法身・発信・発心・発疹」。
とくに前者の「発信・発振・発進」は日常的によく使う言葉ですが、後者でよく使うのは「発疹」だけです。
これは「腹腔」でも同じで、その意味では、医学用語は同音異義語を嫌う傾向があるとも言えます。

「発足」とか「発端」のように、「発」を「ほつ」と読む言葉には、何か「こなれた」印象がありますね。

でも手元の「新明解第3版」では、「ほっしん」は「『はっしん』の老人語」となっていてガッカリします。
第6版からは「『はっしん』の古風な表現」に改善していますが、古風だとしても、業界標準なんですけどね。

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「鶴」も「熊」も「柿」も常用漢字だけど「栗」はちがう
- 2022/06/12(Sun) -
NHKが昨年11月に、次のような調査を行ったそうです。
「テレビの字幕スーパーとしては, どれがもっともよいと思いますか」
 a.「山で栗を拾う」
 b.「山でくりを拾う」
 c.「山でクリを拾う」

年齢層や学歴による差は少なく、約7割強の方が、漢字で書くのが良いと回答したようです。
これを踏まえてNHKの放送用語委員会は、今後は漢字の「栗」を使うことに決定する方向だと。

こんな簡単な漢字でも、常用漢字表に含まれていない漢字は原則として使わないのがNHKなのです。
お役所の作ったルールに盲従せず、メディアはわかりやすさを優先してほしいものですけどね。
そもそも、前回の改定で常用漢字表に「柿」が追加されたのに「栗」は見送られたのって、意味不明でしょう。

NHKの委員らの意見で私が気になったのは、読みやすいから漢字を使おうという、短絡的な議論です。

たしかに、「山で栗を拾う」 は読みやすいですが、もっと大事なのは漢字と仮名のバランスです。
漢字と仮名が適度に交互に並んでいるからこそ、日本語として読みやすいのです。たとえば、
 a.「昨日栗拾いをした」
 b.「昨日くり拾いをした」
 c.「昨日クリ拾いをした」
であれば、私が書くなら 「くり」か「クリ」ですね。漢字ばかり続けるよりは目に優しいからです。
漢字と仮名を使い分けて、読みやすい字面に「調整」できるのは、他の言語にはない日本語の特徴ですよね。

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「カムチャツカ半島」
- 2022/05/29(Sun) -
「カムチャツカ半島」の火山で起きた大規模噴火では、日本への津波の影響はなかったようです。

そのニュースを聞きながら私はしかし、「カムチャツカ」という発音(と表記)が気になってなりません。
ずっと「カムチャッカ(着火)」と思ってましたが、いつから「カムチャツカ(茶塚)」になったのでしょう。

戦前の日本語では、促音(小さい「ッ」)で書くべきところを、大きな「ツ」で書いていました。
たとえば、「行って」と書かずに「行つて」と書いて「イッテ」と読むような具合です。

戦後になってその表記が正された際に、本来は促音ではないのに促音になってしまった言葉があります。
それが「カムチャッカ」であり「ウオッカ」なのだと、色んなところに書いてあります。

そこで、ロシア語の原音に近い表記に修正したのが、「カムチャツカ」や「ウオツカ」なんですね。
そんなことも知りませんでしたが、しかし、日本語としては発音しにくいですね。促音の方が言い易い。

最近になって、「ウオッカ」の方が定着しているという理由で、表記・発音が「ウオッカ」に戻されました。
じゃあ「カムチャツカ」の方はどうなの。文化庁はぜひ、アンケートをとってほしいですね。

あ、でも地名については、現地の発音に近い表記に変える動きがありますよね。「キーウ」みたいに。
日本語として定着しているかどうかよりも、原音を優先するのでしょう。で「カムチャツカ」ですか。
でも、ロシア人の動画見たら「カムチャー(トゥ)カ」ですね。促音じゃないけど「カムチャツカ」でもない。

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ブログ連続10年
- 2022/04/15(Fri) -
「前震と本震の間の日」として記憶されている4月15日ですが、当ブログの連続投稿記念日でもあります。
この10年間、1日も欠かさず、毎日投稿を続けてきました。

コロナ禍でも、地震が起きても、旅先でも、締切間際なのにネタが無くても、なんとか書き続けて来ました。
面白いことを書こうとすると悩みますが、投稿を中断して後悔するのが恐ろしくて、無理くり筆を進めます。
コロナや社会問題を書くのは気が重いですが、アホな話や失敗談でも思い出せれば、その日は筆が走ります。

助けになったものを2つ挙げるなら、体調が安定していたことと、世の中のあちこちにWi-Fiがあったこと。
逆に言うなら、ネット環境が悪くて焦ったことは何度もありました。書いても投稿できないのは最悪です。
そうか。いつか連続投稿を途切れさせてしまったら、ネット環境のせいにしよう。ホントは書いてたのに、と。

ブログ以外に、ほぼ毎日、10年以上続けているものが、あと2つあります。
息してるとか、心臓動かしてる、じゃないですよ。小学生じゃあるまいし。
毎晩1株ブロッコリーを食べることと、1日1食生活。前者は11年以上、後者は16年以上続いています。
でも実は毎日じゃなくて、ブロッコリーが高い日は食卓に上らないし、昼食もたまには食べます。実は今日も。

そうそう、先日から始めた朝晩の「ぶら下がり」は、背骨の痛みが強まったので中止しました。
中止して数日したら、背骨の痛みはウソのように改善しました。なのでぶら下がり再開の予定無し。
何かを続ける場合、それを続ける価値があるかどうかはともかく、やめるなら傷の浅いうちが良いですね。

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SNSでの会話は楽しく(願望)
- 2022/04/11(Mon) -
それほど「デキ」た人間ではない私ですが、そのくせ他人の非礼や不遜な言動にはイラっとします。
ただし基本的に「シャイ」なので、声高に非難するようなこともなく、ひっそりイラつき続けるのみです。

Facebookなどでのコメントのやりとりを見ていると、「大人」な対応ができてない大人が目に付きます。
以下、自分のことはまるっと棚に上げて書きますので、そこのところは優しくご配慮の上でお読みください。

(1)我田引水な人
会話というのは、最初に言い始めた人(スレ主)の趣旨を踏まえて、穏やかに楽しく展開させるのが大人です。
自分勝手な話題にすり替え、自己中な展開に持ち込むことは、会話の乗っ取りに他なりません。大嫌いです。

(2)思いやりのない人
自分の意見を述べることは構いませんが、たとえ誰かに反論するときでも、守るべきマナーがあるでしょう。
「たしかにそれも一理あるけど」とか「その考え方も理解できるけど」みたいな「枕詞」が大切なんです。

(3)強情な人
険悪な展開になりそうだと感じたら、早めに撤退する勇気が必要です。それは負けでも勝ちでもありません。
どうしても引き下がらない人は、その人なりの根拠や自信があったとしても、傍目には見苦しいものです。

私自身、たぶん(1)(2)は大丈夫ですが、(3)は自信がありません。だから議論が嫌いなのです。

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数字で個性を出してみる
- 2022/03/29(Tue) -
保険会社の「チューリッヒ」が、ロシア支持を誤解されぬよう、企業ロゴ「Z」の使用をとりやめたとのこと。
そう聞いてすぐ同社のサイトを見たら、まだ出ています。どうやら、SNS上での使用だけ中止したようですね。
さて「Z会」はどう出るか。

「Z」の文字を書くとき、真ん中の斜めの線を横切るように、短い線を書き加えることがありますよね。
あれは「ストローク」といって、私も格好付けに書いてます。でも本来は「2」と区別するためのものですね。
いや確かに、ストローク抜きで「Z」を書いたら、よほどカクカク書かない限り、2との区別が付きません。

「D」や数字の「7」にストロークを付ける人を見かけますが、これはちょっと気取った感じが私はイヤです。
もちろんそれぞれ、本来は「O」や数字の「1」と区別しやすくするためなんでしょうけどね。

そもそも外人の書く「1」は、頭がやたらに大きく折れ曲がっていて、ほとんど「逆V」になってますからね。
これは「1」と「l (Lの小文字)」を区別するためなのでしょうけど、日本人にはあまりピンと来ません。
しかしおかげで「1」と「7」を区別する必要が生じ、「7」にストロークを付けることになったと推測します。

でも公的な文書でもなければ、わざとストローク付きで数字を書くのも個性的かなと、急に思い始めました。
数字の「4」は、横棒が縦棒の右には突き出さない書き方をすると、いかにも外人(かぶれ)風になりますね。
「2」の左下を丸くしたアヒルみたいにするとか、「3」の上を平らにして「ろ」みたいにしてもいいかも。

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ワクチンでは、「副作用」と言わずに「副反応」を使います
- 2022/03/14(Mon) -
「こないだのワクチン、どうでしたか?」
新型コロナワクチンの3回目接種後に初めて受診された方には、たいていこのような質問をしています。

「どうもなかった」という方もいれば、「高熱が出ました」「2,3日寝込みました」という方もいます。
このような「副反応」については、昨年来の周知徹底が行き届いているので、皆さんわりと冷静です。
「高熱が出ましたが、大丈夫でしょうか」と問い合わせて来る方は、滅多にいません(たまにいます)。

一般の医薬品で「副作用」と呼ぶような現象について、ワクチンでは以前から「副反応」と表現しています。

前者は薬の「薬理作用」に付随するもので、後者はワクチンの「免疫反応」に付随するものだからでしょうか。
敢えて言い換えるなら、副作用は薬の「異常作用」であり、副反応は生体の「異常反応」という解釈です。
しかしおそらくその両者には、厳密な意味での生理学・薬理学的な差はないでしょう。

以前「HPVワクチン」問題が起きたとき、副反応という言葉がごまかしのように捉えられたりしました。
「ワクチンのせいじゃなく、体の異常です」と、まるで責任逃れのように聞こえるからです。

コロナワクチンで市民権を得た「副反応」ですが、「副作用」とは言いたくないニュアンスはつねに感じます。
英語ではいずれも「side effect」であり、両者を使い分けているのは日本(語)だけだといいます。
日本人独特の婉曲表現というか、一種の本音と建て前なのかもしれませんね。

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「7年7カ月ぶり」
- 2022/02/27(Sun) -
プーチン・ロシアのウクライナ侵攻。ひどい話です。ふと、昔聞いた「しりとり歌」を思い出しました。

「スズメ、メジロ、ロシヤ、・・・」、その次は、「ヤバンコク、クロパトキン、・・・」と続きます。

国際原油相場が急騰し、その指標のひとつが7年7カ月ぶりに1バレル=100ドルを上回ったと報じられました。
お前、原油相場に興味があったのかと、驚かないでください。興味あるわけないじゃないですか。

私の興味は、NHKのアナウンサーが、「7年7カ月」を「シチネンナナカゲツ」と読んだことです。
別のニュースでも同じ。NHKでは必ず、「7年」は「シチネン」で「7カ月」は「ナナカゲツ」なのです。

調べてみると一般に、「七」の読み方は、伝統的な「シチ」から徐々に「ナナ化」が進んでいるようですね。
逆に言うなら、伝統的な言葉では「ナナ」よりも「シチ」を使うのだと。「七回忌」とか「将棋七段」とか。

それとは別に、順序を表すときは「シチ」で、数量を表すときは「ナナ」、のような原則もあるそうです。
なので7番目の月である「七月」は「シチガツ」で、期間を表す「七カ月」は「ナナカゲツ」なわけですか。
たしかに私も、「七月」を「ナナガツ」と言うのは、「シチ」と「イチ」の聞き間違いを防ぎたい時だけです。

じゃあ「七年」はなぜ「シチネン」なのか。伝統?、「ナナネン」が言い難いから?、よくわかりません。
過渡期かもしれませんが、現時点で「7年7カ月」は、「重箱読み」的に「シチネンナナカゲツ」なのです。

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「逆に」の用法
- 2022/02/06(Sun) -
「何か処方しましょうか?」
「逆に、何がありますか?」

今日の発熱外来で、PCR検査用の検体を採取した後、何か解熱剤でもご希望かとお尋ねしたときの会話です。

【逆に】
(1)反対に、あべこべに(←原義)
(2)むしろ、かえって(←最近の用法)
(3)それよりも、そんなことより(←マウント)
(4)まあ(←なんとなく言葉をつなげる)

逆にこんな感じでしょうか。
昨今の「逆に」は、応用範囲が広がってますね。これを用法が誤りだと目くじらを立てたりはしません。
逆に自分でも(2)などは「効果的に」使ってみたいですね。

冒頭の「逆に」は (1), (2), (3) の混合で、「それよりも、むしろ、反対に、尋ねますけど」の意味でしょうか。
私はその想定外の質問に戸惑ってしまい、「解熱剤とかあります」と応えるのがやっとでした。
逆に、「何か焼きましょうか?」「オススメ何かあります?」みたいな、焼き鳥屋の会話も思い出しました。

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『ブラックボックス』読中感
- 2022/01/19(Wed) -
「芥川賞」。私はまた、獲り損ねました。敗因はたぶん、私が何も(小説を)書いていないことでしょう。

受賞したのは、砂川文次氏(31)の『ブラックボックス』。都内の区役所に勤める公務員作家ですか。
自衛官時代に『市街戦』でデビューし、芥川賞は3回目の候補だったといいますから、かなりの人物です。

さっそくKindleで購入し、どら焼きを食べながら読み始めました。
これはまた、文が短くて読みやすい。まるで自転車をシャカシャカこいでいるような、スピード感があります。

ところが、短い文ばかりをハイスピードで読んでいると、なんだか過呼吸のような息苦しさを感じてきました。
面白いものですね。やたらに句読点の少ない『苦役列車』で感じた低酸素とはまた異なる息苦しさです。

いや待て、夜10時を過ぎてから小説を読み始めるのも、どうなの。宿題(ブログ)を先に済ませとかなきゃ。
そう思い直して、いまコレを書いています。読書感想文は明日以降に書くことにします。

ところで、「過呼吸症候群(過換気症候群)」の患者さんは、「空気が足りない」と訴えます。
息を吸おうとしても十分に吸えない、肺に入ってこない、そう感じてますます呼吸が速くなります。
これは気のせいではありません。本当に空気が入らないのです。なぜなら、息を十分に吐いていないからです。

なので対処法は、いったん、息を完全に吐き出すことです。吐き出したところで少し息を止めたら、完璧です。
昔よくやっていた「ペーパーバッグ法」は、低酸素を来す危険があるので、今は勧められていません。

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外来で使う外来語
- 2021/12/10(Fri) -
世間を騒がせている「オミクロン株」ですが、すごく怖いのか、ぜんぜん怖くない(かもしれない)のか。
感染がまた世界中に広がって、しかしいつしか普通の風邪になっていく、今はその過渡期なのでしょうか。
よくわからないので横道にそれて、「omicron」の英語の発音で気になったことなど。

私はてっきり「オウマイクロン」(「マイ」にアクセント)と言うんだろうと思ってました。
しかし実際に外人が言ってるのをTVで見てたら、ほとんどが語頭にアクセントの「オミクラン」ですね。

コロナ禍でよく耳にする外来語としては、前に「ウイルス(virus)」の発音について書きました。
「ワクチン(vaccine)」もよく聞きますが、発音は後半にアクセントのある「ヴァクスィーン」ですね。
たまに外人が来院して、「ヴァッスィネーションやってるか?」みたいに尋ねてくることがあります。
なんて?(pardon?)と聞き返して、やっと予防接種(vaccination)のことだとわかります。

日本語では「ワクチン」の「ワ」を強く言うものだから、英語の発音とのギャップが大きいのです。
こういうのを、ワクチンギャップと言うのかもしれませんウソ。

医学知識や用語の多くはドイツから入って来たため、ドイツ語読みが定着している、という説があります。
私もそう思ってきましたが、確認したら「Vakzine」の読みは「ワクツィーン」で、アクセントは後半です。
日本語とのアクセントが一致しないのが気に入らない。

そういえば、ワクチンを考案したのはパスツール。ドイツ人じゃなくてフランス人じゃないですか。
で、フランス語「vaccin」の発音を聞いてみると、「ヴァクスァン」でアクセントは語頭にある。
つまり、日本語の発音は、ドイツ語の発音にフランス語のアクセントが加味されたと、そんな感じですかね。
近代のワクチン・感染症学は、独仏の両国が牽引したゆえでしょうか。
ちなみにイタリア語の「vaccino」は、「ばっちいの」と聞こえます。

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よなのふりよるばい
- 2021/10/22(Fri) -
阿蘇が噴火して火山灰が降っています。
そのことを「よなのふりよる」と言う人がいて、火山灰のことを「よな」と呼ぶことを昨日知りました。

<「よな」とは、火山の噴煙とともに噴き出される灰。火山灰。九州、阿蘇地方でいう。>

辞書(大辞泉)にはそのようにありました。ほぼほぼ阿蘇限定の、火山灰表現のようですね。
となると、「よなよなよなのふる(毎晩のように火山灰が降る)」という言い方もできるわけですか。

夏目漱石の『二百十日』は、阿蘇登山を嵐で断念した漱石の体験を元にした、青年2人の会話の物語です。
その中に次のような一節がありました。

「御山が少し荒れておりますたい」
「荒れると烈しく鳴るのかね」
「ねえ。そうしてよながたくさんに降って参りますたい」
「よなた何だい」
「灰でござりまっす」

「よな」の語源って、何でしょう。「与那国」などの「与那」と同根で、砂の意味だという説があります。
もしかするとその起源は、旧約聖書の『ヨナ書』にまで遡れるかもしれませんうそ。

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最初に「主語」を言え
- 2021/10/02(Sat) -
減りましたね、新型コロナ感染者。当院の発熱外来も減ってるし、熊本県の新規感染確認者数も一桁です。

「九州沖縄で・・・あわせて118人となっています。県別では、沖縄県で43人、福岡県で・・・」
NHKの九州沖縄地方のニュースでは、いつも8県の新規感染者を、多い順にすべて教えてくれます。
画面で数字が出ているので、全部言わなくても良さそうですが、視覚障害者等にも配慮しているのでしょうか。

でも、続くフレーズが問題。今日は、こうでした。
「また、ふくお、沖縄県で5人、福岡県と長崎県でそれぞれ1人の、合わせて7人の死亡が確認されました」

出だしの言い間違いはともかく、これが死亡者数の数であることが、最後まで聞かなければわかりません。
たぶん死亡者数だろうなと思いながらも、いったい何の人数なのかと、ずっと疑問を引きずってしまいます。

このような、聞き終わらなければ「主語」がわからないようなニュース原稿は、私には納得がいきません。

「また、死亡者数は、沖縄県で5人、福岡県と長崎県でそれぞれ1人が、確認されました」
このように言うべきでしょう。「見出し」となる重要語は、まず最初に提示しなきゃ。

ラジオ放送は当然ですが、テレビでも、音声だけ聞いている視聴者(聴取者?)もいるのです。
こういった点にはNHKも気を配っているはずですが、ローカル局の場合は徹底していないのかもしれません。

文字の原稿でも基本は同じ。当ブログでも、キーワードはなるべく文頭に書くよう意識しています。
ただし、何らかの効果を狙った場合は別。私はむしろ、そういう例外的な書き方の方が多いかもしれませんが。

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「まず、隗より始めよ」
- 2021/09/22(Wed) -
誰か政治家(誰か忘れた)が先日、「隗より始めよだ」なんて言ってましたが、いつも引っかかる言葉です。
だいぶ前にも書きましたが(なんと、熊本地震の前日!)、また書きます。

彼は「まず、やれるコトからやれ」という意味で使っていました。それは決して誤用ではありません。
でも元々の故事では、「まずは優秀でない者を優遇すれば、賢人が続々と集まってくる」という意味でした。
単に「手近な」ところに手を付けるのではなく、「とるに足らない」ところから始めるのが、キモのはず。
その意味では、「下位より始めよ」と書いたっていいぐらいですよね。

私は中学時代にこの言葉を習ったとき、「まず私を厚遇せよ」と王に進言した隗の厚かましさに呆れました。
そしてこの考え方は、日本人の奥ゆかしさとは相容れないだろうなと感じました。
だから日本では、「手近なところから一歩一歩やれ」みたいな、実直なことわざに変化したのでしょうね。

情けは人のためならず」が、「その人のためにならない」の意味で誤用されることが多いのも、同様です。
日本人は、誠実・謙虚を尊ぶので、自分の利益を期待して他人に情けを掛けることなど、ヨシとしないのです。

何かを説得したい時に、無機質な「理詰め」だけではうまくいきません。「情緒」がとても大事です。
新型コロナワクチンを恐れる人には無理強いせず、自ら接種したくなるように丁寧に説明をしてきました。
北風と太陽」にならった作戦です。「ジャパネットと夢グループ」と言い換えてもよいでしょう(違うか)。

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ウイルスであってウィルスではない(と思う)
- 2021/04/29(Thu) -
「新型コロナウイルス」のように、「virus」に相当するカタカナ表記は「ウイルス」です。
「イ」を小さく書いた「ウィルス」を、最近見たことがありません。たぶん昔はありました。

しかしこれを発音する場合、ニュースでは時々「ウィルス」という発音を耳にします。
さらに不思議なことに、「ウィルス」発音は、テレビよりもラジオのニュースでわりと頻繁に聞きます。

今でこそ「ウイルス」ですが、私が子どもの頃は、表記も発音も「ビールス」でした。
これはおそらく、ドイツ語 (Virus)の読み「ヴィールス」から来ており、「V音」が「B音」になっただけです。

私の記憶では、いつの頃からか「ウィールス」と濁らなくなり、やがていまの「ウイルス」に至ります。
NHKでは1976年の放送用語委員会で、「ビールス」よりも「ウイルス」を優先して使うと決めたようです。

英語(virus)の発音は「ヴァイラス」です。
医者同士や学会等では、日常的によく使います。ただし日本人同士だと、発音は「バイラス」ですけどね。

ラテン語だと「ウィールス」に近い発音のようです。日本語「ウイルス」は、ラテン語由来なんでしょうか。

以上のように「virus」の「vi」の元々の発音は、「ヴァイ (英)」か「ヴィー (独)」か「ウィー (羅)」です。
なので「ウィルス」は間違い。たぶん「wi」で始まる外来語と混同してるんでしょう。(個人の見解です)

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筒井康隆『ジャックポット』毒中感
- 2021/03/30(Tue) -
筒井康隆を久しぶりに読みました。短編集の『ジャックポット』です。思った通り、筒井節が炸裂しています。
まだ全部は読んでませんが、すでに私の精神が披露宴。全話読めるかどうか、震度1ほどの自信もありません。

言葉遊びと言うにはほどがある、不適切・不穏当な言葉がイヤと言うほど登場します。(以下、ネタバレあり)
ネットなら炎上して燃え尽きるような問題表現が、書籍だからこそ自由自在の書き放題なんですね、逆に。

「親しき仲にもコロナあり」「一難去ってまたコロナ」「のど元過ぎればコロナを忘れる」「弱り目にコロナ」
こんなのは、品の良い方。よい子はうっかり読まない方が良い本です。

ただ、最後に収載されている『川のほとり』は、ホントに切なく、静かに泣かせる話でした。
癌で昨年亡くなった息子さんとの、夢の中での邂逅。それが夢だとはわかっていても、静かに会話を続けます。

私は不意に、江戸末期に博多の聖福寺の住職だった、僊厓義梵 (せんがいぎぼん) 和尚の話を思い出しました。
正月にめでたいことを書けと殿様に言われて、「親死ね 子死ね 孫死ね」と書いたことでも知られる人です。

この逸話を、中学生時代に美術の木本先生から聞きました。後に、山口県立美術館の館長になった人です。
その木本先生があるとき「絵心とはなにか」という宿題を出しました。親に訊いて、次の授業で提出せよと。
あれから半世紀近くたっても時々思い出しますが、先生が求める答案は何だったのか、いまだにわかりません。

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要点をすぐに言わない人に、いちいちイラつかない(自戒)
- 2021/03/26(Fri) -
「文を頭から読み進めたとき、読み返さなくても理解できるのであれば、長さにこだわる必要はありません」
という、先日読んだ某「文章術」の意見には、禿同(←いまどき言わんかな)。

以前、ブログ記事を1つの長文で書いたこともありましたが、アレは息切れするので書いてて面白苦しかった。
けれども、思ったままにその順番で言葉を書き連ねた文章は、読む側には意外と楽かもしれないと思いました。

と言うのも、大事なことを後回しにして喋る人が時々いて、私は聞いてて少しもどかしい思いをするのです。
とくに若い頃には私は、「できたら要点から先に言ってほしなぁ」と、いつも思っていました。
修飾語はあとでいいから、まず結論をストレートに言ってほしいのです。せっかちなんですね。

でも、優しくて奥ゆかしい人ほど、話がソフトになり、主旨がとらえにくくなりがちなことに気付きました。
なので私も最近は、大事なことを後回しにするのは親切心ゆえだと考えて、イラつかなくなりました(多分)。

「問診」は文字通り「聞くこと」ですが、効果的な問診ができるかどうかは結局、「訊き方」次第ですね。
私は、年上の女性と雑談しながら問診を深めるのが好きですが、しばしば漫才みたいな会話になります。
そのようにして経験豊富な先輩方と世間話をしながら問診する術を、毎日実地訓練させられているわけです。

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見かけはシンプルでも、内容はくどいのが好き
- 2021/03/22(Mon) -
「文章術」を指南する本やサイトは無数にありますが、私はなるべく読まないようにしています。
なぜなら、自己流が否定されそうな気がするからですが、今日うっかり、その手の記事を読んでしまいました。

その記事によると、「1文の長さは60文字以内が好ましい」とか。
おおっ。好ましいかどうかはともかく、たまたま当ブログは、原則として1文を50文字以内で書いています。
でもその理由は前にも書いたように、ブラウザで表示したときに次の行に折り返されるのがイヤだからです。

ですが無理くり50字におさめる推敲過程は、まるでパズルみたいで、実は私の大好きな作業なのです。

「シンプルに書く」=「なくても意味が通じる言葉を削る」だと、件の記事にあります。
なるほど。半分同感。ですが、シンプルがベストとは限らないのが、文章の面白さだと私は思っています。

たしかに、くどい文章は読みにくいですが、敢えてくどく書くことで、読者をイラつかせることができます。

読者のハートを刺激できれば、それはそれでインパクトのある文章と言えるでしょう。好印象ではなくても。
所詮、文字面だけの表現ですから、どれだけの効果を与えられるかを、最大限に工夫しなければなりません。
シンプルで読みやすい文章なんてのは、あっさりしすぎて記憶に残らないんじゃないかと、心配になるのです。

読んでスッキリ何も残らない「低残渣」ブログよりは、消化しきれず胃がもたれるような文章が私の狙いです。

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「積ん読」は、本の熟成作業なり
- 2021/03/21(Sun) -
積ん読」を、よくやります。本を買っても読まずに、そこら辺の本の上に積み重ねてそれっきり、ってやつ。
何冊も積み上げ続けていると、やがて崩れます。上層面だけが滑落したり、大元から倒壊したりもします。

そんな災害が起きたら起きたで、深い層に眠っていた本が発掘できたりして、それも積ん読の醍醐味です。
買った時とはまた異なる、新たな興味が湧いてきて、図らずもその場で読みふけることさえあります。

積ん読に批判的な人がいますが、私は反論したい。そもそも、読書の目的って何ですか、と。
ジャンルにもよりますが、純文学を除けば私の場合たいてい、「好奇心を満たす」ために本を読んでいます。
医学に限らず科学全般、芸術、歴史、生き物、乗り物、食べ物、そのほか森羅万象に、好奇心が入り込みます。

好奇心を満たすことが目的なのであって、「読書」はその手段に過ぎません。
さらに、その好奇心を満たす目的を突き詰めてみると、結局は自己満足なのかもしれません。

本が手元に届いた瞬間から、もう私はワクワクし始め、すでに一定の満足感が得られていることに気づきます。

家を出発するときから旅のワクワクが始まるように、広義の読書の楽しさは、本を手にした時から始まります。
読み進んだらどんな世界が広がり私は何を得られるだろうかと、読まないうちから気分が高揚してきます。

装丁を優しく愛でた後、ページを開き、目次などに目を通し、そして本を閉じます。よし、そのうち読もう。
こうしていよいよ、積ん読が始まるのです。

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井の中の蛙、共通語を知らず
- 2021/03/08(Mon) -
手指消毒用エタノールの押売り(国による優先供給スキーム3月分)メールが届きました。懲りませんね。
いつもの「サラヤ ヒビスコールSH ポンプ付1L 1本4,378円(1〜4点ご購入時、税込、配送料込)」です。

どうしてこのような、市場価格よりも格段に高い製品を、優先だと公言(広言・巧言)して売りつけるのか。
最初に設定した価格から変更することが、お役人にはできない事情でもあるんでしょうか。

だいたい、スキームなんてエラそうな言葉遣いがもう、いただけません。計画とか政策とか言えばいいのに。

「スキーム(scheme)」に近い言葉に「スキーマ(schema)」があります。図解とか計画の意味です。
そのドイツ語「シェーマ(Schema)」なら、私は以前からよく使ってきました。
一般的なのかどうかは知りませんが、「シェーマで示します」なんて表現を、医者や研究者は頻繁に使います。

それと似た音がするドイツ語に「シェーレ(Schere)」があります。手術用のハサミのことです。
大学や医局による違いもありますが、私が育った医学部では、この表現が標準でした。
いや、「シェーレ」と正しく言う医者は少数派で、おおかたは「セーレ」と言ってました。
前者が方言っぽく聞こえるので、勝手に「洗練」させた歴史があるのかもしれません。

ところで20年以上前、私と先輩医師が2人で九州を出て、四国の医科大学(当時)に一時赴任したときのこと。
手術中に「セーレ!」と言っても、まったく通じない。この時、セーレが共通語じゃないことを悟りました。
狭い社会にずっと留まっていてはいけない、外に出なければわからないことがあると、思い知った話です。

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変異ウイルスのクラスターで先が読めない
- 2021/01/31(Sun) -
埼玉県で4人が新型コロナの変異ウイルスに感染していることが確認され、県の担当者は次の様に述べました。
「いずれも英国滞在歴や英国滞在歴のある患者等との接触は確認されておりません」

このような話し方って、昔から私は気に入らない。(話がそれて申し訳ないです)
たとえば、台風等によって空の便の欠航が相次ぐようなとき、次の様なニュースをよく耳にします。

「欠航または欠航が決まっています」
パッと聞いて意味分からん(と、最初は思う)。「遅延または欠航が決まっています」なら分かるけど。
で、次の瞬間、そうか、すでに欠航したか今後の欠航が決まっている、という意味かと納得するのです。
でもそれなら、「すでに欠航したり、今後の欠航が決まっています」と言えば親切なのに。

冒頭の埼玉県の人も、次の様に言うべきでしょう。
「いずれも英国滞在歴はなく、また英国滞在歴のある患者等との接触も確認されておりません」

かように私は人の発言の枝葉がいちいち気になる性分なので、本来聞くべき内容が耳に入らなかったりします。
さいわい、最近のNHKプラスとか全録レコーダーで、聞き漏らしたニュースを聞き直せるのが救いです。

そうそう、話を元に戻しますが、変異ウイルスはクセモノ。要注意ですね。
せっかく感染者数が減る兆しが見え、ワクチンの接種計画も具体化してきたというのに、油断なりません。
はたして「ゲームチェンジャー」となるのは、ワクチンか(良い意味で)、変異ウイルスか(悪い意味で)。

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質問には、まず真っすぐ簡潔に答えましょう
- 2021/01/14(Thu) -
緊急事態宣言下の東京都の小池知事は昨日、次の様に語りました。
「コロナはカレンダーを持っていない。もう一つ持っていないものが時計でして、ですから、午後8時であろうが、お昼間であろうが、不要不急の外出はお控えくださいと、ずーっと前から、言ってます」

これを聞いた人の反応はたぶん、「うまいこと言うねぇ」か、「うまいこと言ってんじゃねぇよ」でしょうね。

私は後者。ていうか、うまいとも思いませんが、小池氏はまた、こうも言いました。
「コロナは県境がどこなのかわからない、というのもポイント」

あなたこそポイントをはずしてませんか、小池さん。いま求められているのは、へたな例え話じゃないでしょ。
小池氏を「アピール上手」だと持ち上げる方もいますが、私はいいかげん辟易しております。
妙なキャッチフレーズや語呂合わせが、わかり易いというよりくどい、見苦しい。なんなら幼稚。

それに輪を掛けてひどいのが、菅首相です。昨日の記者会見の、グダグダな質疑応答にはガッカリしました。
記者からの質問に対して簡潔に即答することがなく、まずムダな前段の説明から入り、しかも的を外してる。
最初に真正面から簡潔に回答し、次いでムダなく捕捉説明をする尾身会長との、違いが際立った会見でした。

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クマの駆除で疲れて、目の下にクマができたとする
- 2020/10/24(Sat) -
クマが民家付近に出没する事件が、最近よく報じられます。人的被害も出ているようです。
たまに逃げ去るクマもいますが、多くは、「猟友会によって駆除された」、という結末になります。

しかし私はこの「駆除」という言葉には、いつも違和感を覚えてしまいます。
ゴキブリみたいな害虫に使うのならともかく、クマやイノシシに使うのはいかがなものか。
大動物に「駆除」を使うと、彼ら(動物たち)を虫けら扱いしているような気がして、申し訳ないのです。

たとえ撃ち殺したとしても、「捕獲」という表現はできないものでしょうか。
生死は未確認の、言うなれば心肺停止状態で捕獲し、どこかへ運んでから死亡を確認したという形です。
これならば、「猟友会によって捕獲された」という報じ方ができ、私も聞いてて心が安まります。

ところで、クマのニュースを聞いて気になるのは実は、「駆除」よりもむしろ「クマ」のアクセントです。
アナウンサーが、「クマ」の「マ」が高い、「イヌ」と同じ「尾高型」で発音しているからです。
私はずっと、「ク」にアクセントを置いた、「サル」と同じ「頭高型」で生きてきたのに。

一般に名詞は、頭高型→尾高型、という「平板化」を来す方向に、アクセントが変化しています。
なので私は、「クマ」も同様に、私が使う頭高型は古くて廃れつつあるアクセントかと思っていました。

ところが「新明解国語辞典 第三版」(1981年)によると、伝統的には「イヌ」と同じ尾高型なんですね。
これが2014年の「日本語アクセント辞典」になると、新しいアクセントとして頭高型も加わります。
NHKの「新辞典」(2016年)でも、第1アクセントは尾高型、第2アクセントは頭高型となっていました。

従来の尾高型では、目の下にできる「クマ」と同じアクセントです。
言葉の発音は、同音異義語を区別する方向に変化しやすいので、頭高型への変化はリーズナブルです。
私が昔から使っている頭高型は、言うなれば時代を先取りした、将来型アクセントと思ってよいでしょう。

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「やさしい日本語」は、日本人どうしの会話でこそ使いたい
- 2020/09/26(Sat) -
文化庁がまとめた「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」について、NHKが報じていました。
日本で暮らす外国人にしっかりと情報を届けるための、「書き言葉」に焦点をあてた手引き書だそうです。

「やさしい日本語」にするためのポイントがいくつか挙げられていましたが、これは日常会話でも使えます。
外国人相手の文章に限らず、それ以前に、日本人どうしの会話においてこそ十分に考慮すべき点だからです。

(1)伝えたいことを整理して、情報を取捨選択する
(2)3つ以上のことを言うときは箇条書きを使う
(3)簡単な言葉を使う(難しい言葉を使わない)
(4)一文を短くする(一文で言いたいことは1つだけ)

家庭ならともかく、職場等のややあらたまった場所では、意識的に少し堅苦しい「漢語」を使いがちです。
「和語(やまとことば)」のやさしい印象が、いかにも安易で、くだけすぎにも思えてしまうのでしょうか。

漢語のあらたまった語調は医学用語との相性も良く、医療機関では得てして難しい言葉を使いがちです。
「熱はありませんか」と尋ねたいときに、「発熱していませんか」と訊いてしまうことがあります。
「お待ちいただいています」と言うかわりに、「待ち時間が生じております」なんて言ってしまうのです。
私も日頃から、なるべくやさしい言葉遣いをするように意識していますが、なかなか思い通りにはいきません。

それに加えて私の場合、いつも同じ言葉遣いを続ける事に抵抗があって、表現を変えたくなる性分も問題です。
相手は違うのだから、同じ言葉を繰り返してもかまわないのに、それを私の中ではくどく感じてしまいます。
頑張って相手ごとに違う表現で喋ろうとして、でも言葉がスッと出なくて、結果的に噛んでしまうのです。

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敬体と常体を混在させたっていい!(ぺこぱ風)
- 2020/08/28(Fri) -
休診日はたいてい、外出もせず(コロナ禍なので)、自宅か職場でデスクワークとか読書などしています。
TVのニュース番組はつけっぱで、昼間なら「ひるおび!」からの「ゴゴスマ」経由の「Nスタ」です。

そのひるおび!では五分五分視していた安倍首相の辞任は、ゴゴスマの冒頭から速報が出て驚きました。
Nスタではずっと安倍首相の会見を中継をしていましたが、CMが入るので結局、NHKに切り替えました。
なお「ミヤネ屋」は見ません。人の言うことをまったく聞かないで番組を進行させる某MCが嫌いだからです。

ひるおび!は、午前10時25分から3時間半の生放送ですが、熊本では「3分クッキング」が割り込んできます。
3分とは名ばかりで10分間の中断です。今日は「ガーリックシュリンプ」が美味しそうでした。

「くまもっと まなびたいム PLUS」という教育番組も、今日はひるおび!の時間帯に放送されていました。
「中3 夏の陣」シリーズだそうで、RKKは国語を担当。今日のテーマは「課題作文」でした。
解説の先生が「敬体と常体を混在させてはならない」と強調していましたが、これにはいつも疑問を感じます。
この原則はケースバイケースで判断すべきコト。常にそうすべきだという教育は、杓子定規で不自由です。

NHKのニュース原稿は敬体ですが、誰かの発言内容を引用するときには、たいてい常体が混在してきます。
放送用語委員会によれば、引用であることをわかりやすくするために、その部分だけ常体を用いるのだとか。
しかし、その引用文章中の最後の文末だけは敬体にする場合もあるようで、臨機応変ということでしょう。
最後だけ敬体に戻して、全体のニュース原稿のトーンを保ち、聞きやすくする効果があるかもしれません。

このような用法を広げるなら、聞き手(読み手)への効果を狙って、敬体・常体の混在はアリだと思います。
だいたい、作文の目的は何。課題作文なんて言ってますけど、何かを人に伝えることこそが文章の目的では?

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禍(わざわい)を転じて渦と為す
- 2020/08/10(Mon) -
「コロナ禍」という言葉を、最近はよく目にし、耳にもします。当ブログでも4月から使っています。
「舌禍」とか「災禍」とか「ワクチン禍」などの言葉で使われる「禍」(か、わざわい)を用いた表現です。

この言葉についてNHKは慎重で、7/1付でNHK放送文化研究所のサイトに、次のように書いてありました。
・「書きことば」としては効果的でも、「話しことば」としては、あまりなじまない
・聞き取りにくく、聞き取れたとしても最近使われ始めた新語であるため意味が伝わりにくい
・番組タイトルやニュースのテロップでの使用はあるが、読み原稿やスタジオトークでは使わない
・今後、新語の「コロナ禍」が世の中でどのように使われていくのか見極める必要がある

ネット上では、「コロナ渦」という間違いをしばしば目にします。「禍」のところが「渦」になっています。
前述したNHKのサイトにも、「『コロナ鍋』『コロナ渦』という表記も時々目にする」とありました。
「こうした間違いによって新たな『災い (禍)』を引き起こさないようにご注意」と、斜め上からのご意見も。

ところが、です。7月31日放送の「ニュース9」で、目を疑うような、次の様なテロップが登場しました。
「コロナ渦で失われる仕事 求められる人材とは」

どうしたんですか、NHK。見事に「コロナ渦」じゃないですか。自ら災いを起こしてるじゃないですか。
その数分後、「○コロナ禍 ×コロナ渦」とのテロップを出して、和久田麻由子アナが深々と頭を下げました。

局内のチェック体制の問題よりも、テロップ製作者が「渦」という漢字を使った経緯、その方が気になります。
「渦」という漢字は、「うず」から変換しなければ、なかなか出てきません。うっかり変換ミスは考えにくい。
つまり「コロナ渦」は変換間違いではなく、それで正しいと信じてテロップにしたのだろうと推測します。

人々が巻き込まれている(渦中にある)という意味からすれば、「コロナ渦」もあながち見当違いじゃない。
「コロナ禍」も「コロナ渦」も、少しニュアンスの異なる、それぞれ正しい表現だと思うべきかもしれません。

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コロナ感染者数が「右肩上がり」の違和感
- 2020/08/02(Sun) -
新型コロナウイルスの感染者数は、多少ジグザグ増減しながらも、ここのところおおむね増え続けています。

大阪で200人越えした日に吉村知事は、「(感染者数は)右肩上がりで上がっている」と言いました。
その前には沖縄の玉城知事も、グラフを示しながら「右肩上がりになっている」と説明していました。
新聞でもテレビでも、今日もNHKで、コロナ関連の数字について「右肩上がり」を使っていました。

でも私は、コロナ感染者数という「悪い事」に「右肩上がり」を使うことには、どうしても抵抗があります。
感染者数が「伸びてきましたね」なんて言われると、なんかイヤですよね。それと似た違和感です。

辞書(大辞泉)には、「後になるほど数値が大きくなること。後になるほど状態がよくなること」とあります。
同義の「右上がり」も、「どんどん数値が上がっていくこと。後になるほど状態がよくなること」でした。

用例を見ても、業績とか売上とか成長率とかの「良い事」ばかりが登場します。「悪い事」は見当たりません。
つまりこの表現は、数値が増えることが好ましい事柄に用いるのが普通なのです。
であるなら、「右肩上がり」をわざわざコロナには使わないでほしい。そのような配慮がほしい。

ところで「肩」という言葉は、本来は人や動物の肩ですが、生物以外のモノの上部のかどの部分も指します。
なのでグラフの右上の角を「右肩」と呼び、グラフの右上が上がっていたら「右肩上がり」となるのでしょう。

でも、人を正面から見て、向かって右側の肩が上がっていたら、それは左肩です。左肩上がりです。
グラフの立場に立てば、「向かって右肩上がり」は、「グラフの左肩上がり」じゃないのかと思ったりします。
「肩」という解剖学用語を使うのであれば、左右を間違えないよう願います。私の違和感は、むしろそっちか。

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予測不能な展開にドキドキし、思った通りの展開にホッとする
- 2020/07/12(Sun) -
韓流ドラマ『愛の不時着』にハマっているという井上荒野さんの雑感風の文章を、今朝の日経で読みました。
この文化欄のエッセイってハズレがないので、仕事前の私の楽しみになっています。
とくに女性作家が書いたものは、適度に軽く淡々とした文体と意外な展開が面白く、私の琴線に触れます。

井上氏は、「無意識に感動する準備をしているところに、感動がちゃんと起爆するのが心地いい」と言います。

無意識でなくても、水戸黄門のような期待を裏切らない展開は、確実にカタルシスを与えてくれますけどね。

そういえば、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』をネット配信していたので、おととい観てみました。
映画館で観た1回目とは異なり、あの予測不能なドラマの展開を、今回は十分予測できる状態での視聴です。

驚いたことに、ストーリーがわかっていながら観ると今度は、思った通りにコトが運ぶ展開が逆に面白い。

随所に張り巡らされた「伏線」は、最初に登場した時点ですぐに、それが伏線だとわかります。
あれって、あとで重要な役割があるんだよね〜と、誰に言うでもなく、ひとりほくそ笑むのです。
そして伏線が回収されていくたびに、ほら来たと、誰に言うでもなく、納得してニヤけるのです。

1回目の鑑賞では驚いた場面も、2回目の鑑賞ではカタルシスが得られる心地よいシーンとなります。
ストーリー展開に目を奪われず、じっくり映画を楽しもうと思えば、2度見することですよね。
じゃあ3度見だとどうなるんだと、そういうことになるでしょうか。考えときます。

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名詞のアクセントの「平板化」には、最後まで抵抗したい人間です
- 2020/06/27(Sat) -
ある水族館がやっと開館するというニュースを聞いてて、「水族館」という言葉のアクセントに驚きました。
なぜならアナウンサーが「平板型」で発音したからです。私の中では絶対に「中高型」なのに。
ここで中高型というのは、「東京都」とか「新幹線」のような、真ん中にアクセントが来ることを言います。

同様に「博物館」も「図書館」も「美術館」も、NHKのアクセント辞典では、今のところすべて中高型です。
でも世間では、これらの言葉はかなり平板化が進んでいるような気がします。残念です。
「春休み」や「夏休み」は、まだ中高型ですね。ですよね。でもやがて平板化するでしょう。え、もうしてる?
「ケンタッキー」なんてのも、やがて若者は平板型で言い始めるんでしょうね。え、もうしてる?
じゃあ「洗濯機」とか「冷蔵庫」はどうよ。「養命酒」とか「福禄寿」とか「犬追物」はどうよ。

名詞のアクセントがだんだん平板化する中で、中高型を堅持している言葉は、どこかレトロな感じがしますね。

平板化が進んでいる理由のひとつは、発音にエネルギーを使わないからだという「省エネ」説があります。
あるいは、業界用語若者コトバのような、格好付けや仲間意識も、その要因かもしれません。

平板化は時代の流れだとしても、直線的で無味乾燥で無色透明な言葉に変えられていくのは悲しいことです。
その言葉が本来持っていた「起伏」や「味わい」や「彩り」が、失われる気がしてなりません。
すでに私の平板化ネタも定番化していますが、無味乾燥なブログは避けたいものです。え、もうしてる?

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文學界新人賞受賞作『アキちゃん』(三木三奈)読後感
- 2020/04/20(Mon) -
新型コロナ以外の話題はないものかと探したのですが、どうしても旬のネタはコロナ絡みばかり。
こうなれば奥の手は、映画か小説の感想文、ということになります。
ちょうど「文學界新人賞」の受賞作掲載号が出たので、今夜あわてて読んでみました。

三木三奈(みきみな)氏の『アキちゃん』。
「選考会を議論の渦に巻き込んだ “寄り添わない” 小説」だと評されています。(以下、ネタバレあり)

「寄り添わない」と聞くと、お笑いコンビ「ぺこぱ」の右側の人の「ノリツッコまない」を連想しますね。
それはともかく、『アキちゃん』が面白かったかと問われるなら、私の答は「どうなんかなぁ微妙」です。

今村夏子氏の小説にも似てスラスラ読める平易な文章の中に、「刺さる」文が配置されているのはさすが。
「作品には鮮烈な一言半句を求めるだけだ」という、芥川賞の選考委員だった故開高健氏の言葉の通りです。

一貫した「不機嫌」が本作品の重要な通奏低音ですが、主旋律(テーマ)が私には難しく感じました。
重要な事柄が途中まで故意に隠されている点も、効果的というよりは、私には注意力を失わせる展開でした。
でも高評価している選考委員もいて、となると読み手としては、私もまだまだということなのでしょう。

まさか芥川賞とったりして。ていうか、コロナ騒ぎの中で予定通り7月に芥川賞選考会あるんでしょうかね。

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「あさっての方向」とは、具体的にどっち向きなのか?
- 2020/02/03(Mon) -
節分なので「恵方巻き」を、昼休みに流儀に則って黙って一気に食べました。
今年の恵方は「庚(かのえ)」。ほぼ西南西ですが、正確には255度の方向です。
前に書いたように、iPhoneのコンパスは「磁北」ではなく「真北」に設定しておく必要があります。

ところで最近、「『おととい』の前の日は、『やのおととい』ですよね?」と尋ねられて、狼狽しました。

『やのおととい』?、たぶん初耳。それに「おとといの前日」と言えば『さきおととい』のポジションのはず。
いやしかし、『やのあさって』だってその意味には地域差があるそうだし、『やのおととい』もありなのか?

確認のために辞書(日国)を引いたら、驚くべきことが記載されていました。
・「あさっての翌日」は、東日本が『やのあさって』、西日本が『しあさって』という東西対立分布がある
・しかし、都区内は例外的に『しあさって』である
・「あさっての翌々日」は、西日本が『ごあさって』、関東は『しあさって』、都区内のみ『やのあさって』

私の場合、どういうわけか都区内の用法に一致します。少なくとも『ごあさって』には承服しかねます。

そういえば「あさっての方向」って、本来の方向からどのぐらいズレているのでしょう。昔からの疑問です。
右斜め60度ぐらいズレているのが私の感覚ですが、そもそも、そのズレ具合に標準値があるのでしょうか。
いやもちろん、「あさっての方向」には比喩的な意味があるってことは、わかってます。
ググったら「山田J太による漫画」だと。知らん。ていうか今日も、拙ブログはあさってなエンディングです。

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今日からブログのタイトルを長くすることにした理由
- 2020/01/26(Sun) -
「ブログのタイトルを見ても内容がわかりにくい」というご意見があることは、以前から承知しております。
そもそも内容がまとまっていないブログなので、それを一言で表現するタイトルなど付けようもないのです。

もともとは、敢えて禅問答のような不可解な短い言葉で興味をそそってやろう、というのが私の戦略でした。
がしかし、その作戦はあまり有効ではなく、かえって読む気を失わせる効果しかなかったかもしれません。

実際、世の中のブログを見ていると、概してタイトルが長く説明調で、内容が分かりやすくて親切ですね。
というわけで、今日から宗旨替えです。むしろこれまでの反動で、やたらに長いタイトルにしてみたりします。

問題があるとすれば、パソコン等で閲覧したときに、タイトル一覧部分の改行が多くなることですかね。
スマホでご覧になる方も、不便になるかもしれませんが、そこはご容赦願います。

タイトルって、考えてみたら長い方が楽なんですよね。短いのはむしろ苦労します。

じつは、ブログのタイトルが重複したことが過去にありました。これも短いタイトルの弊害です。
いつも似たようなネタで書いているので、同じタイトルを付けそうになるニアミスなら、日常茶飯事です。
なので投稿する直前にタイトル検索をかけることが、いまや最重要チェック項目になっています。

同じタイトルを付けてしまうリスクを減らすため。それがタイトルを長くすることにした第一の理由です。

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「ハチド」と「クド」
- 2020/01/15(Wed) -
インフルエンザは少し下火にも見えますが、まだ油断はできません。それにB型が現れ始めています。
溶連菌感染やリンゴ病とインフルエンザに同時に罹患する方もいて、診断する上でも注意が必要です。

ところで、気温は「36.5度」と言うのに、体温ではたいてい「36度5分」と表現します。
ただしNHKは気温でも「36度5分」と言っており、まるで体温みたいで違和感があると半年前に書きました。

そのNHKの放送用語委員会が最近、気温でも「36.5度」という言い方を認めよう、と決定したようです。
いまさら感はありますが、今後は報道番組でも、民放並みに気温を「36.5度」と言う日が来るのでしょうか。

いや、どちらでも可という場合には、NHKはより伝統的な(古くさい)表現を使いたがりますからね。
当然ながら体温の方は、NHKではこれまで通り「36度5分」しか認めないようです。まあ、いいでしょう。

「熱が8度あります」とか「9度あります」などと、とくに高熱の場合には略して言うことがよくありますね。
その「ハチド」や「クド」という響きからは直感的に、単なる数値ではない「高熱感」が伝わってきます。

だから小数点以下が付いた「39.5度」の場合でも、「9度5分(クドゴブ)」と言った方がピンときます。
しかしそれは、昭和生まれの私の感覚であって、もはや若い方には「39.5度」の一択なのかもしれません。

多くの伝統的な表現が、やがて現代的で科学的な表現に置き換わっていくのは時間の問題です。
体温を「9度5分」などと言う人種は、時代と共に消滅していくのでしょう。

NHKでも、基礎体温の「36.59」などの小数点以下第2位までの体温の言い方は、今後の検討課題のようです。
そのような桁数を昔は想定していなかったわけで、伝統的表現が追いつかなくなる一例ですね。

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おまかせブログ
- 2019/12/26(Thu) -
考えが煮詰まって(←誤用)もう頭が回らなくなり、思考が暗礁に乗り上げることがありますよね。
そんな状況を表す、うってつけの言葉を見つけました。「脳座礁」。すみません。病名で遊んじゃダメですね。

でも私の場合、ブログがどうにもまとまらなくなって、夜の11時台にしばしば座礁します。
ついには、まとまりのないまま投稿してしまう夜も(よく)あります。投稿拒否だけはできないタチなのです。

座礁よりも困るのは、漂流です。右を向いても左を見ても、ネタの手がかりすら見いだせない大海原。
フラフラ漂いつつも、0時前になんとかどこかの陸地にたどりつくという、きわどい夜もあります。
しかし陸と思ったのは難破船か、いかだやドラム缶の可能性もありますが、とりあえずしがみつきます。

この程度の文章なんて、適当にキーワード入れたら勝手に作文してくれるアプリも、ありそうな気がします。
あらかじめ過去の拙ブログをAIに学習させておけば、あとは「お題」を与えるだけで書いてくれませんかね。
そのお題すら思いつかない日は、「おまかせ」ボタンをクリックして、AIにすべてお任せしましょう。
なんなら、毎晩自動的にブログを書いて投稿してくれると助かります。私はもはや「読者」です。

でも、さすがに投稿前には、形ばかりの筆者(=私)が、一度目を通しておくべきでしょうかね。
「今日もまた、つまらんなぁ」などとつぶやきつつ、結局そのまま投稿ボタンをクリックするのでしょう。

てな感じで、今夜漂着したのが本稿です。マヨネーズの空きボトル程度のネタにしがみついてます。

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ブログ投稿3,000回
- 2019/12/22(Sun) -
当ブログは今日で、通算3,000エントリーとなりました。燦然と輝く投稿数というのは、こういうことです。
ちなみに、最初の1,000回には6年1カ月を要しましたが、次の1,000回は約2年9カ月で達成しました。

お気づきの方もいるかもしれませんが、約2年9カ月というのは1,000日のことです。
したがって、2,001回から今日までの期間も約2年9カ月です。
なにしろ2012年4月16日から今日まで、2,807日連続で投稿していますから、こういうことになります。

さてこの状況を、どのような言葉で表現してみましょうか。

「塵も積もれば山となる」
素直にそんな気持ちです。ただしその「山」という状態に意味はなく、単に「積もったなぁ」という感慨。

「雨垂れ石を穿つ」
主旨は好きな言葉ですが、「雨だれ」に主体性がなく、どちらかと言えば受け身なところがあと一歩です。

「一念岩をも通す」
いえ、それほどの「念」もなく、ただ投稿をやめられないだけ。一種の「中断恐怖症」なのです。

「精神一到何事か成らざらん」
だから、そこまでの強い精神ではないのです。ただ時々「投稿依存症」的な気持ちにはなります。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
結果的には、当ブログの連続投稿をいちばん言い当てているかもしれません。ただ、書いて来ただけですけど。
とりあえず、「石の上にも三千回」ですか。

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飲みかたの多か
- 2019/12/16(Mon) -
「減量できてますか?」と尋ねると、「いやぁ飲みかたの多かですもんねぇ」という返答。
飲み会が多くてなかなか減量できないのですよ、という言い訳ですが、この時節、まあしょうがないです。

ここで「飲みかた」というのは、飲む方法や作法・流儀の意味ではありません。
熊本の方言で、飲み会(宴会)のことを「飲みかた」と言います。じゃあ、「かた」って何?

日本国語大辞典によれば、「動詞の連用形また動作性の漢語名詞に付いて、それをする意を表わす」とのこと。
これだけだとピンと来ませんが、用例「打ちかたやめ」を見て、少し腑に落ちました。

とは言え、「打ちかた」と「飲みかた」の「かた」がまったく同じ意味には思えません。
「打ちかたやめ」とは射撃をやめさせる際の号令です。つまり「打ちかた」には現在進行形の意味があります。
「飲みかたやめ」と言った場合は、早飲み大会の制限時間が来たときの号令のようなニュアンスがあります。
つまりこの場合の「飲みかた」は、飲むことの進行形を現しており、宴会という意味ではなさそうです。

一方で、今日のテーマの「飲みかた」は、宴会の意味ですから、また別の「かた」があるのでしょう。
いろいろ調べても、しっくりくる答がみつからないので、「飲みかた」の言語学的(?)分析は終了。

それにしても、飲みかた(飲み会)を「外飲み」の意味で言うのであれば、私はそれが極端に減っています。
旅行中を除けば、外のみするのは年に数回以下です。勤務医時代だったら、この時期は大変でしたけどね。

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文字だけのブログ
- 2019/11/22(Fri) -
「ブログに写真がないんですね」というご意見(ご指摘)を、久しぶりに頂戴しました。

数年前に、ブログに写真を掲載しない理由を書いたことがあります。
文章を毎日書くだけでも苦労しているのに、このうえ写真まで掲載しなければならないなんて苦痛だと。

それに、写真にコメントを付け加える形式のブログは、文章としての面白味がなくて好きじゃありません。
じゃあお前のブログは文章だけで面白いのかといわれると、そこは、アレですけどね。

とは言え、「写真が無いと何か殺風景ですね」と言う方が時々(年に2人程度)おられ、気にはなっています。
この際、「写真と文章は関係ありません」という形ででも、むりくり写真付けてみましょうか?

ただしそれでも、写真選びで毎晩苦労することは目に見えています。
旅行時や孫が帰省してきたときなら良いですが、そうでなければ花ちゃんの写真ばかりになってしまいます。

それに私は、苦労してネタをひねり出し、文章書いて推敲し、ギリギリ締切に間に合わせるのが好きなのです。
昔から、締め切りに追われたり仕事がハードだったりすると、逆にちょっと楽しくなる性格なんですよね。
あまり好きじゃないブロッコリーを毎晩1株食べ続けているのも、たぶんその性格ゆえでしょう。

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どっこいしょ
- 2019/11/20(Wed) -
特集記事 「『どっこいしょ』を考察する」

第1部:「どっこいしょ」の言語学的考察
・「どっこいしょ」って、そもそも何?
・「どっこいしょ」の語源を古代まで探る
・正しい「どっこいしょ」アクセントは?
・派生語「どっこらしょ」が生まれるまで
・海外版「どっこいしょ」あれこれ
コラム:「どっこいしょ」は、サンスクリット語だった!?

第2部:「どっこいしょ」を科学する
・「どっこいしょ」は必要か
・「どっこいしょ」の有効性を検証する
・「どっこいしょ」と筋電図
・ヒアルロン酸に抗「どっこいしょ」効果はあるのか
コラム:ロコモと「どっこいしょ」

第3部:「どっこいしょ」の周辺
・「どっこいしょ」に、どんな漢字を当てますか?
・「どっこいしょ」禁止ゲームが楽しい
・接頭語「うんとこ」と接尾語「のしょ」の使い方
・まるで意味が違う「どっこいしょ」と「よっこいしょ」
・「よっこいしょーいち」を商標登録していた、まさかのあの会社
コラム:横井さんと小野田さん

てな感じの雑誌が出たら、即買いします。

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い抜き言葉?
- 2019/11/11(Mon) -
「早っ!」
診察室で緊張して固くなっている子どもが、スムーズに診察が終わった瞬間に、こう言いました。
イヤな検査や痛い処置もなく診察が終わり、ほっと安堵感から出てきた、いかにも今風の言葉ですね。

思いのほか早かったことを大げさに驚いて見せる、テレビ等でよく聞く表現です。私も時々、口にします。

驚きを表す言葉は、短く瞬時に発音できるものほど、そのホットな気持ちを強く表現できるのでしょう。
「寒いっ!」よりも「寒っ!」、「スゴいっ!」よりも「スゴっ!」なのです。

このような表現は「語幹用法」の範疇に入るのかもしれませんが、「い抜き言葉」と呼んでもいいですかね。

たとえば「ら抜き言葉」は、すでに市民権を得つつあります。
単に短くて言いやすいだけでなく、尊敬や受け身と可能表現を明確に区別できるという利点があるからです。

「い抜き」にそのようなメリットはありませんが、い抜き言葉には勢いがあるのが特徴です。
「言葉のゆれ」はおおむね発音しやすい方向に向かうので、い抜きもやがては一般化するかもしれません。

あ、待てよ。本来の「い抜き言葉」は、「書いている」→「書いてる」のような表現のことでしたっけ?
文字数を減らせるので、原則として1文を1行で書いてる当ブログでは、こっちの「い抜き」は重宝してます。

ということで、何が言いたいのかよくわからなくなりました(いつものように)。寝よっ。
あっ!(と、ガバッと布団から起き上がるイメージで)。「寝よっ」は「う抜き」か。

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「憮然」を間違う世代
- 2019/10/30(Wed) -
文化庁が昨日発表した「国語に関する世論調査」の結果を、多くのメディアが一斉に報じています。
たとえば「憮然」の意味を、「失望してぼんやりとしている様子」だと正解した人はわずか28%だったと。

テレビのキャスターらは、「これはゆゆしき問題ですね」と言わんばかりに、苦々しい顔をします。
詳しくは報じてくれないので、視聴者はなんとなく、最近の若者の日本語は乱れてる、という意識を持ちます。

ところが、実際に文化庁の報告を見てみると、報道がとんだミスリードだということが分かりました。

「憮然」の正解率は、平成15年度は16%、19年度は17%でした。今回の28%は、劇的に改善した数値です。
まず、この経時的変化をきちんとおさえている報道が、私の見た限りではひとつもありません。

さらに、一部の新聞では言及していますが、年齢が若いほど正解率が高いという、予想外の結果が出ています。
正解率は、16〜19歳で約7割なのに対し、50代は24%、60代以上は2割を切っています。
「憮然」を間違えて理解しているのは、若者ではなく、中高年世代なのです。

そういえば昔、学生時代に、「現役:偶然、一浪:当然、二浪:平然・・・」と続く言葉遊びがありました。
その三浪が「憮然」で、以後「唖然、愕然、慄然、呆然」などが登場します(順序には諸説あります)。
当時の私は恥ずかしながら、憮然を、「腹を立てている様子」という誤った意味で認識していました。
今思えば、その解釈ではシックリこないことに気付くべきでした。

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他動詞と自動詞
- 2019/10/07(Mon) -
扁桃腺を腫らした子が最近よく来院しますが、予想に反して、溶連菌やアデノウイルスが検出されません。
つまり、それら以外の病原体感染による、急性扁桃炎というわけです。熱は高めですが、けっこう元気です。

「扁桃腺を腫らした子」と冒頭に書いたのは、「扁桃腺が腫れた子」と書くよりも、表現に味があるからです。
「腫らす」は他動詞で、「腫れる」は自動詞です。

患者は意図的に扁桃腺を腫らしているわけではないので、自動詞で書いた方が、医学的には正しいのでしょう。
しかし敢えて他動詞で書くことで、「腫らしてしまった」という苦悩や後悔を表現できるような気がします。

同様に、「熱が出た子」よりも「熱を出した子」の方が好きですが、よく使うのは「発熱した子」ですね。
漢語を使うと叙情的なニュアンスが消えてしまい、いかにも科学的・客観的で無味乾燥な表現になりますね。

前にも書いたことがある、自動お湯張り浴槽のアナウンス「お風呂が沸きました」は、自動詞です。
これを他動詞で「お風呂を沸かしました」と言われると、「そう言うあんた誰?」とツッコみたくなります。

自動詞も他動詞もある動詞の場合、主体(主語)をボカしたいときに、自動詞を使うのかもしれません。
だからたとえば病状を客観的に表現するときは、「腫れる」「熱が出る」の方が適切なのでしょう。
そしてもっと(いかにも)医学的に言おうとすれば、「腫脹する」「発熱する」となるのでしょう。

一方で将来、AI家電が家中に配置される時代になると、それらはみな擬人化してくるかもしれません。
アナウンスもたぶん、他動詞を使い始めるのでしょう。「お風呂を沸かしましたよ」みたいに。

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こっそり推敲を遂行
- 2019/09/03(Tue) -
当ブログは、たいてい夜執筆し、しばしば深夜に投稿しています。さいわい夜は筆が進みます。
ただ、十分に推敲できてないまま0時の締切前に滑り込むことがあり、翌朝改めて推敲し直す場合があります。

昨日のブログの場合、今朝になって最終行の「不払い」を「未払い」に変えました。
二つの言葉の使い分けを、今朝の頭で考え直したものです。すなわち、

【不払い】違法またはモラル違反であることを知りつつ、しばしば悪意を持って、意図的に支払いをしない行為
【未払い】経緯はどうあれ支払いを怠っている状態であり、たいていは悪意はなく、今後支払う可能性がある

ところで、「恋文は夜書くな」というタイトルで前にも書いたことがあるように、夜の文章は尖りがちです。
なので翌朝読み返して、「書きすぎたな」と思ったら、こっそりと書き換える場合もあります。
これは狭義の推敲とは異なり、過激な表現を多少穏健な言葉に置き換えて体裁を整える、いわば化粧です。

いつも夜中に最新稿を読まれる方におかれては、私の過激な一面を常に感じ取っていただけるかもしれません。
さらに翌日にも2度読みするような酔狂な方なら、もしかするとその化粧具合を察知できるかもしれません。
しかしできることなら、そのようなビフォーアフターの読み比べはご遠慮願います。なんか、恥ずかしいので。

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酔った勢い
- 2019/08/29(Thu) -
「酔った勢い」で不道徳な行動が現れるのではなく、元々のその人の道徳観がその程度であっただけ。

このショッキングな研究結果を、Facebookの紹介記事で見ました。その通りでしょうね。身につまされます。
日頃は抑制されているその人の本性が、酩酊によって解き放たれ、表に出てしまうのでしょう。

人が本性をさらけ出すきっかけとなるのは、なにも酩酊だけではありません。
誰かから激励されたり、叱咤されたり、煽られたり、癒やされたり、いろんな状況が影響すると思います。

その場の雰囲気で、勢いづいて「失言」をする政治家なんてのは、その典型例でしょうね。
うっかり言い間違えたのではなく、うっかり本音を吐露してしまっただけですから、取り消しは無意味です。
そのような事をいつも考えている人間なのだなと、世の中に知られてしまってからでは取り返しがつきません。

一方で、つねに慎重に言葉を選んで決して本性を現さない悪党がいたとしたら、それもまた厄介です。
むしろ、失言を繰り返している人間の方が、ある意味正直かもしれません。本心を隠し通せないのですから。

酔って醜態を晒す人なんてのは、その意味ではかわいいものです。やることなすことが、おおむね想定内です。
酔ってもなお抑制的・理性的な人が、何かをキッカケにブチ切れたときこそ、想定外の事態になりそうです。
もちろんそれも、その人の本性の発露なのでしょうけどね。

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「令和」の発音
- 2019/08/07(Wed) -
今日、当院で予防接種を受けた7人のうち2人が、今年5月以降の生まれ、すなわち「令和ッ子」でした。

だいぶ前、手術患者が平成生まれであることに驚いて、「平成ッ子やあ」と言ってたことを思い出します。
あの頃の、「昭和→平成」の落差に比べると、このたびの「平成→令和」の改元には、私はすぐ慣れました。

生涯で2度目に遭遇した改元ということもありますが、今回の改元は平成元年の時の焼き直しに思えるのです。
菅官房長官が新元号を供覧したあの瞬間は、かつての小渕長官のやり方をあえて踏襲したものでした。
今の時代、モニタで表示することもできたのに、30年前と同じく手書きの色紙で提示したわけですから。

「新しい、元号は、令和であります」
そう発表した菅官房長官の言葉の最後の方は、実はよく聞こえませんでした。その時の動画を見直すと、
「新しい、元号は、令和でありまふ」
みたいな、小保方風の尻すぼみ発音をしています。官房長官も、首相に似て滑舌が悪いのです。

新元号の発表会見で菅官房長官は、「令和」を「 レ ↘ イワ 」のように「頭高型」で発音しました。
しかし巷では、「レ↗イワ」のような「平板型」のアクセントも混在しています。
NHKは、その両方のアクセントを許容する方針のようですが、やがて優先順位を付けることになるでしょう。

「昭和」の場合でも、普段は平板型で発音していても、特に強調したいときには頭高型になったりします。
「令和」はまだ真新しいので、いまのところは強めの発音である頭高型を使っているような気がします。

考えてみると、「明治は」頭高型、「大正」は平板型と、ほぼ限定的なアクセントですね。
同音異義語の「明示」や「大将」と区別しようとする意識が、昔からあったのかもしれません。

最近の他の元号とは異なり、「令和」って同音異義語が少ないですね。調べた限りでは「例話」だけです。
その「例話」は平板型発音。なので「令和」は、頭高型が定着するかもしれませんね。

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今村夏子ついに芥川賞
- 2019/07/17(Wed) -
芥川賞は、今村夏子の『むらさきのスカートの女』に決まりました。選考会では断トツの高評価だったとか。

今村氏は近年、私のイチオシの作家なのですが、芥川賞候補になったのは3度目。まさに3度目の正直でした。
さっそく今夜、Kindleで読みました。ていうか、この作品、まだ読んでなかったのです。スミマセン。
(以下、内容の詳細は書きませんが、当然ながらネタバレ注意です)

例によって、今村流の不隠な雰囲気が全体を包んでいます。もう最初っから、ヤな感じが漂います。
あいかわらず中学生が書いたような平易な文章ですが、ヘタに文学的過ぎる小説よりは私はよっぽど好きです。

「今村さんは独自の、狂気を突き抜けた先にある哀れさのようなものを描ける人だと再認識できました」
こう語るのは、選考委員の小川洋子氏。まあ、どうなんでしょう。そこまで言いますか。

今村作品では、3年前の芥川賞候補作になった『あひる』がいちばん好きですね。たぶん、短いからでしょう。
それと比べると、2年前の『星の子』も今年の『むらさきのスカートの女』も、ちょっと冗長に感じました。

今村氏は若い頃に清掃のアルバイトをしていたそうで、その経験が今回の受賞作にもつながっています。
これはちょうど、『コンビニ人間』の村田沙耶香がコンビニでバイトをしていたことと同じパターンです。

そういえば、『むらさきのスカートの女』と『コンビニ人間』って、なんか似ています。
今日も読んでてデジャブがあったのは、そういうことか。
バイトって、その弱く不安定な立場と難しい人間関係が、リアルな小説の題材になりやすいのかもしれません。

さて、私は若い頃、どんなバイトをしてきたっけな。ちょっと思い出してみましょう。(で、小説書く?)

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気温と体温
- 2019/07/03(Wed) -
当院の問診票の右上には、院内で測った体温を記載する欄があります。
来院して検温して初めて、「あらっ、八度五分ありました」と、熱があることに気づく方もけっこういます。

「八度五分」というのはもちろん、「38度5分」のことであり、しばしば「三十」の部分は省かれます。
これを「38.5度」と言うこともできますが、体温の場合は伝統的に「○度○分」という表現をよく使います。

一方で気温の場合には、「36.5度」のような言い方が慣用表現とされています。
民放ではたいていこれを使っており、普通にわかり易く感じます。
ところが、NHKは今なお「36度5分」のようにしか言いません。まるで体温みたいで私は違和感があります。

最近の「NHK放送用語委員会」でこの点が議論されましたが、結局、従来通り「○度○分」でいくようです。
気温も体温もいずれも同じ温度を指すものであり区別する必要はない、というのがその理由です。

いやいや、区別すべきでしょう。体温というのは、単に体の温度を示すだけの数値ではありません。
とくに「熱」は、身体の兆候を現す重要な「所見」であり「体調」そのものです。
「九度」だというだけで、その人の病状を端的に表現することができ、医療者も身構えるのです。

言葉は世間の慣用に従って変化するのが自然なので、NHKのかたくなな態度は、いけません。

と、以前は考えていたのですが、状況によっては気温でも「○度○分」もアリかと、最近は思っています。
たとえば猛暑日の気温。「38.5度」よりも「38度5分」と聞いた方が、いかにも暑そうで汗ばみます。

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サンノゼ
- 2019/06/06(Thu) -
WWDC2019」という、Appleの発表会(開発者イベント)が開催されたのは、サンノゼの会議場でした。
重大インシデント」を起こしたANA機が離陸したのも、同じく、カリフォルニア州のサンノゼ空港でした。
つまり過去2日間のブログは偶然にも、「サンノゼ」がらみだったというわけです(だから何?)。

サンフランシスコ湾南岸一帯を「シリコンバレー」といいますが、サンノゼはその中核都市のひとつ。
サンノゼにはCisco、その東のサンタクララにはIntel、隣のサニーベールにはYahooの本社があります。
その東のマウンテンビューにはGoogleの、南のクパチーノにはわれらがAppleの本社があります。

実はずっと以前から疑問でした。なぜ「San Jose」の綴りで「サンノゼ」と言うのか。
どうせスペイン語読みを踏襲したかなんかだろうと思い、ググりもしてきませんでしたが、今日ググりました。

違いました。スペイン語読みだと、むしろ「サンホセ」だそうじゃないですか。
米国人も、ゆっくり正確に発音する時は「サンホゼ」だったり、さらっと発音すると「サノゼ」だったり。
ま、こんなネット上の未確認情報の又聞きの受け売りをここで披露してもしょうがない。

もしかすると、日本語で言う「連声(れんじょう)」みたいなものかもしれませんね(素人の意見です)。
連声というのは、「観音(カン+オン→カンノン)」とか「天皇」とか「因縁」のような音変化のことです。

フランス語の「リエゾン」も、似たような発音規則ですよね(よく知らんけど)。
そしてどうでもいいけど、「リエゾン」と「連声」って発音もそっくり。連声ってリエゾンの当て字?

いつか米国西海岸に行くことがあったら、必ずサンノゼを訪れて、現地人の発音を聞いてみたいものです。
その時は当ブログで、受け売りではない私自身の調査結果をご報告します(10年ぐらいお待ちください)。

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人一倍飲む
- 2019/04/25(Thu) -
かつて「成人病」と呼ばれ、いまは「生活習慣病」ですが、本来は「生活悪習慣病」というべきでしょう。
その診療を行っている立場としては、自分自身の生活習慣に改善の余地があることを、苦々しく思っています。

いわゆる「休肝日」など、年に3日あるかないかというのが、つい最近までの私のアルコール摂取習慣でした。
ところが最近、次のように考えを改めたのです。「深酒をする予定があれば、その数日前から断酒しよう」と。

実はコレ、私がずっと続けている「1日1食生活」にも通じます。すなわち「楽しみの前の我慢」です。

明日2倍飲む予定なら、今日は断酒する。5倍飲むつもりの宴会があれば、その前の4日間は断酒しておく。
肝臓への負担等が、そのような単純計算で手当できるとは思いませんが、断酒しないよりはマシでしょう。

それに、4日断酒したあげくの5日目に5倍も飲めるはずがありません。結局、総飲酒量は減らせるのです。

そう言えば、「倍飲んだ」って言ったら、「2倍飲んだ」ってことですよね。つまり「倍=2倍」。
辞書(日国)を引くと、「一倍」とは「二倍の古い言い方」とあります。ちょっと考えると不思議です。

じゃあ、「1倍=2倍」ならば、数学的には「倍=0」となるのかというと、そういうわけでもありません。

たとえば「人一倍」という場合には、厳密には「人の二倍」ではないにしても、比喩的には二倍なのでしょう。
つまり「人一倍」とは、「人 + もう1倍」という、加算的な意味だと理解すれば腑に落ちます。
ちょうど楽天などのポイントでいうところの「2倍」が、「+1倍」の意味になるのと同じですね。

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ブログ更新連続7年
- 2019/04/15(Mon) -
毎日ムキになって書き続けている当ブログは、今日で連続更新(投稿)が7年に達しました。

「2013年以降では、当ブログの連続更新記録は、世界最長タイ記録です」
当たり前のことをエラそうに書くと、そうなります。この手の表現は、ときどき色んな人が使いますね。

「私は最年少の大統領候補ではないかもしれないが、最も若い女性大統領になるだろう」
ヒラリー・クリントン氏が大統領選に際して、年齢で不利だと言われる悪評を、このように喝破していました。

「上南部2丁目で小児科といえば、当院がいちばん評判が良いです」
当院しかないですからね、上南部2丁目で小児科やってるのは。なお「評判が悪い」にも置き換え可能。

さてさて、いったいあと何年書き続けられるでしょうね。
「毎日書く」のが苦しくなったら、「7日分の密度のブログを毎週1回書く」という手法で切り抜けようかな。
これはインチキじゃありませんよ。1回内服したら効果が1週間続く、骨粗鬆症の薬と同じ理屈ですから。
となると、「30日分の密度のブログを毎月1回書く」という戦術だってアリでしょう。

でもやっぱり、作文の宿題や日記のように、毎晩苦しみながら書くからこそ、逆に楽しいのです。
夜23時を過ぎてもブログネタが決まらないとき、たぶん私は半泣き状態になっています。
だから、23時59分台に無事投稿を終えたときの、その達成感がたまりません。

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『妻のトリセツ』
- 2019/02/24(Sun) -
話題の本『妻のトリセツ』(黒川伊保子著)を、焼肉店で順番を待つ間に読破しました。
グイグイ引き込まれるように読めた、と言うよりも、内容が少々薄っぺらなので、すぐに読めるのです。

「夫婦あるある」的な部分も多いのですが、その「ステレオタイプ」な記述がだんだんイヤになる本です。

そう思っていたら、黒川氏が監修したグリコの子育てアプリの宣伝サイトが、炎上しているそうですね。
利用者から「女性を馬鹿にしている」との批判が相次いだため、グリコはサイトを取り下げたとのこと。
報じられたそのサイトを見てみたら、「トリセツ」と同じ内容が書かれてるじゃないですか。

この本は女性からの批判が多いそうです。著者が男性だったら大ブーイングだったことでしょう。
男からすれば参考になる部分もわずかばかりありますが、女性がこれ読んだらイヤだろうなと思いますね。

ちなみにわが家では、家人はこの本を読もうとしません。「タイトルがすでに気に入らん」そうです。

性別でも血液型でも県民性や国民性も、ステレオタイプな見方は面白いですが、科学的根拠には乏しいもの。
納得できるものには「あるあるっ!」と賛同し、そうでないものは左へ受け流す(古い)程度のものです。

ある脳科学者は「男女の平均に差が出ることはあるが、個人差の方が大きい」と言ってます。まさにそれです。
面白おかしく書いとけばいいものを、説教じみて断定するものだから、私は読んでてむかついてくるのです。
でもそれって、どんな著述にも言えることですかね。・・・他山の石としましょう。

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