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御嶽山の犠牲者
- 2014/10/03(Fri) -
御嶽山の噴火災害は、ほんとうに痛ましい限りです。犠牲者の多くが、噴石による「損傷死」だとのこと。
噴石の数と威力が激しかったことの表れですが、石に当たらなければ助かっていた可能性もあります。
海で救命胴衣が役立つように、登山には、軽くて固い緊急用全身プロテクタなんて、ないのでしょうか。

ところで、今回の噴火報道でも気になったのは、「心肺停止」という言葉の使われ方です。
「山頂付近にはまだ心肺停止の方が何人いる」などという表現。なんかオカシイ。いつも違和感を感じます。

心肺停止とは、心拍動と呼吸が停止した状態。すぐに適切な心肺蘇生を行わなければ、数分で死に至ります。

あの噴火の状況で、心肺蘇生はきわめて困難、あるいは発見時にはすでに手遅れだったことでしょう。
ところが、多くの被害者の方々が、死亡ではなく心肺停止だと報じられました。
もちろん、まだ蘇生の可能性があるうちは、そう表現すべきです。しかしそれにも、限度があります。
何時間たっても次の日になっても、あり得ないほど長時間、心肺停止状態だと言い続けるのもどうなのか。

それが確定するまでは「死」という言葉を軽々に用いない。これが日本人の「情緒」なのでしょうか。
医師の確認がないとか、搬送方法や法律的扱いに違いが出るとか、死亡と断定しない理由もあるようです。

しかし海外のメディアは最初から、心肺停止者も死者とカウントして報じています。じつに科学的です。
一方で、日本のメディアが報じた死者数は、初めは少なく、その後時間を追うごとに増えていきました。
このような日本式の報道では、瀕死の重傷者がだんだん亡くなっていったようにも、受け取られかねません。

まあ心肺停止と言われても日本人にはピーンとくるのですが、外国人にはわかりづらいかもしれません。
蘇生の可能性があるからこそ心肺停止と言うのであって、可能性がないなら別の表現を使うべきでしょう。

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