忸怩たる思い
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- 2016/01/30(Sat) -
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甘利明経済再生相が辞任しました。世間では「ゲスノート」の呪いだとも言われています。
数日前に甘利氏が安倍首相に、閣僚辞任の可能性を打ち明けたところ、 「たとえ内閣支持率が10%下がっても、続けてもらいたい」と励まされて逆に、 「これ以上、迷惑をかけられない」との思いを強めたとのこと。 つまり、「やめてほしくない」と信頼されているからこそ、「やめなければならない」と決心したわけです。 先週のダボス会議のときには、甘利氏は自分の疑惑を否定しつつ、 「安倍総理大臣にご迷惑をおかけしていることは、本当にじくじたる思いがあります」と述べました。 周囲の外国人は、同時通訳のイヤホンを付けていましたが、「じくじたる思い」はどのように通訳されたのか。 辞書には “I blush with shame...” とありますが、それだと「恥じ入るばかりだ」と同じような気がします。 「忸怩(じくじ)」と敢えて言う、その古めかしいニュアンスは、日本語特有の表現なのでしょうか。 古い用例を探したら、森鴎外の『カズイスチカ』がありました。鴎外の医学的経験を題材にした小説です。 読んだことがなかったので、さっそくネット(青空文庫)で読んでみました。 ある患者の、病気の真相を医者に教えられ、それに気付かなかった助手(書生)が自分を恥じる場面。 その印象的なシーンで「忸怩たるものがあった」という表現が出てきます。 おそらく、注意力不足・観察力不足・想像力不足・勉強不足、などという反省があったのでしょう。 しかしそんなことを言うなら、私など、似たような忸怩たる思いは、毎日のことですけどね。
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