コオロギの目的
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- 2016/08/18(Thu) -
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「今が楽しけりゃ、それでいい」と聞くと、そんな刹那的な考え方でどうする、と説教したくなります。
しかし、「将来のためなら、今はどうでもいい」と言う人には、今も大切にしようよ、と諭したくなります。 自然界の生き物のドキュメンタリー番組を見ていて、ふと思いました。彼らの生きる目的は何なのだろうと。 昆虫や植物などの活動が、あたかも「子孫を残す」ことが唯一最大の目的のように、解説されるからです。 子孫を残す以前に、その個体(虫など)自身に、生きる楽しみはないの? 病気を起こすウイルスもそう。 ウイルスは、特定の宿主の特定の細胞に入り込むと、俄然、子孫を増やすために自己複製を開始します。 さらに、他の宿主に感染を広げていきます。複製だけが目的であり、それ以外にプロジェクトはありません。 人間はしかし、遺伝子以外の何かを後の世に残すことに、その存在意義を見いだすことができます。 それを業績と言ったり、思い出と言ったりします。その人の画像や映像や、創作物も残ります。 遺伝子以外の情報を、社会の中に残すことができるわけです。 そこが昆虫やウイルスや他の動物とは異なる、人間ならではの存在意義、生きる目的なのだと思います。 しかしその業績や思い出も、孫やひ孫や、せいぜい数百年後の、最大限に見積もっても数千年後までの話。 そのあとの時代まで残っているものは、結局、遺伝子なんですね。昆虫やウイルスと同じです。 だから人間は、何かを残すために生きているなどと偉そうなことを言わず、今を楽しめばいいのです。 浴室の窓から、コオロギの鳴き声が聞こえてきます。そのよく澄んだ鳴き声には、聞き惚れてしまいます。 鳴くのは求愛のためだけなのでしょうか。いい音色に自己満足しているコオロギは、いないのでしょうか。
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