永遠に生きる未来
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- 2017/08/05(Sat) -
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今日が楽しけりゃそれでいい、明日のことは知らん、という生き方は、あまりにも刹那的すぎます。
目標に向かって邁進していても、目標達成後のことを全く考えてないのなら、やはり同じことでしょう。 人生全体を俯瞰して計画的に生きても、まだ考慮が足りません。子や孫やひ孫への思いに欠けるからです。 100年後を見据えたとしても、500年後や1000年後を考えないなら、スケールは小さいと言うべきでしょう。 1000年に一度の大地震、数万年に一度の大噴火、地球に流れる時間はもっとずっと、悠大です。 オカシな話ですが、私は最近、数万年後や数億年先の地球と自分のかかわりについて、ときどき考えます。 私の存在は何年先まで記憶され、私のDNAは何年先までこの地球上に残るのか。残ったとしてその意義は? この地球上に、ほんの一瞬だけ出現した人類など、何を成し遂げたところで、すぐに消え去る存在です。 厭世的になってるわけではありません。逆です。将来のためでなく、今を生きることこそ大事だと思うのです。 その意味では、今日のことしか考えてなくても100年先まで考えていても、地球的時間尺度では五十歩百歩。 「地球に優しく」などと、偉そうに言うこと自体がおこがましい。私がいちばん嫌いな言葉です。 人間自身が心地よく生きていけるための身勝手な環境が、地球に優しいと勘違いしているにすぎません。 どっちみち、この先数百年、せいぜい数千年の地球環境しか考えてないでしょう。 数万年単位で、いや永遠に人間が生きることが、科学技術によって可能になる日は来ないでしょうか。 病の克服ではありません。個人の人格・意識を、コンピュータに移植できないだろうかと思うのです。 肉体を持っていたときの人間がそのまま、肉体不要の状態で、コンピュータ内で生き続ける仕組みです。 外から見たらまるでゲームですが、チップの中の人間は、普通に人生を謳歌するというわけです。 そのようなチップ人間が、何億人もネットワークでつながり、社会を形成し、何万年も生き続ける。 病気も何にも無いです。医者も不要か。
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