銃社会批判
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- 2012/12/26(Wed) -
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米国で銃乱射による痛ましい事件が起き、例によって世論を二分する議論が巻き起こっています。
「銃規制強化」運動がまず盛り上がり、「全米ライフル協会」がそれに反発する、というのがパターン。 このようなとき、日本人はすぐ米国の銃社会を批判しますが、その論調にはどうしても疑問を感じます。 (1)日本に「武器で自分を守る概念」が無いことも問題。 憲法で個人が武器を所持することを認めている米国とは対照的に、日本人はあまりに無防備です。 もしも暴漢に襲われたら、警察が駆けつけるまでは素手で対抗するか、無抵抗で待つしかないわけです。 そのような日本人の気質を思うと、たとえば尖閣問題の行方などは、とても不安です。 そのうちあっさりと中国に上陸され、何の反撃もできないまま、島を占領されそうな気がしてなりません。 (2)銃が無ければ大量殺人は起きないという認識も間違い。 たしかに日本においては、米国と同様の銃乱射事件が起きる可能性はとても低いです。 しかし、秋葉原や池田小学校では、刃物によって多数の通行人や児童が殺害される凶悪事件が起きました。 無謀な運転によって、多くの児童らが犠牲になった事件もありました。 使われたのは拳銃ではなく、ナイフや包丁や車といった日用品。その殺傷能力は、使う人次第だと思います。 日本の銃規制が悪いとは思いませんが、銃に代わって国民を守る仕組みを、もっと充実させるべきです。 |
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